天下の悪法“遺留分”を回避せよ! “How to Avoid Bad Law!”
第9回:「天下の悪法」の回避方法を考える~その1
今回は、遺留分を回避するための方策として、まずは民法というルールの中で何とかできないかについて検討したいと思います。
その前に、まずは「相続」とは何かということについて考えてみましょう。
この「相続」という言葉、誰もが当たり前に使っている一般用語なのですが、その本当の意味を知っている人は少ないのではないかと思います。
私自身も、かなり最近になって初めて知ったくらいなのですから。
まず「相続」という言葉の成り立ちですが、元々は仏教の言葉で、「因果が連続して絶えないこと」を指しているらしいです。
そして漢字を分析すると「相」は人相の相で、「姿」「形」という意味を持ち、「続」は続けるですから、要するに「姿・形を続ける」という意味となり、極めて高度な精神性を内包する言葉であることが分かります。
ところが、この相続という言葉を法律用語として使った途端、「争続」という変語に代表されるように、何だかゼニカネや揉め事の匂いがする、とても感じの悪い、嫌らしい言葉に変わってしまうのは、いったいどうしてなのでしょうか?
現行民法では、相続全体の定義として定めている条文はたった一つ、第882条にある「相続は死亡によって開始する。」というたった1行だけです。
つまり、現行民法においては「相続=人の死亡」なのです。
ちなみに明治民法では964条で「家督相続ハ左ノ事由ニ因リテ開始ス 一、戸主ノ死亡、隠居又ハ国籍喪失・・・以下省略」となっており、死亡だけが相続開始原因ではありませんでしたから、ここで根本的な前提が変わっています。
そして現行民法第883条以下に並んでいる条文も、祭祀承継や死後認知などの、ごく一部を除いて、ほぼ全部が「財産」に関する規定であり、要するに「ゼニカネ」の話となっているのですから、すなわち法律上における「相続」とは、人が死亡した時に持っていた財産を誰が貰うかという、高度な精神性などカケラもない、単なる「死人の財産の奪い合いルール」に過ぎないということなのでしょう。
民法では明確にされていない部分を解釈として考えてみますと、相続とは人が死亡することによって自然に発生する現象であると捉えることができ、遺言は人が自分の死亡を想定した上で、その際の財産の行方について指定する文書であるということになります。
そして、遺言とは一人の人が一方的に書く文書であり、これを民法では「単独行為」と名付けて、相手のある「契約行為」とは別のものとして考えています。
例えば、民法には「贈与契約」というものがあり、549条に「贈与は、当事者の一方がある財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾をすることによって、その効力を生じる。」と規定されています。
そうすると、人が生前に財産を誰かに贈与していれば、その財産は相続財産にはならないということになり、仮に遺言に「全財産を〇〇に与える」と書いてあったとしても、既に贈与された財産には遺言の効果は及びません。
しかし、残念ながら生前に贈与することで遺留分を回避するという方法には、遺留分権利者側に有利な別の条文があるので、実際には難しいのです。
それは「持ち戻し」と呼ばれる規定で、民法では第1044条に「贈与は、相続開始前の1年間にしたものに限り、前条の規定によりその価額を算入する。当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知って贈与をしたときは、1年前の日より前にしたものについても、同様とする。」と規定されています。
つまり、いくら贈与をしておいても、遺留分権利者が請求をすれば贈与自体が実質的には無かったことにされてしまうのです。
では次に、生前贈与ではなく、例えば「自分の死亡を条件に贈与する」という内容の契約であればどうでしょうか?
これは「死因贈与」と呼ばれる形の契約で、遺言とは違って本人と相手方とが合意してする契約であり、かつ遺言では不可能な不動産登記などもできるという便利な制度です。
ところが民法には、ここも実に周到に遺留分権利者を守るための条文が組み込まれており、第554条には「贈与者の死亡によって効力を生じる贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する規定を準用する。」となっており、死因贈与は契約であるにも関わらず、遺言と同じ扱いを受けてしまうことになっています。
ということは、死因贈与契約をしたとしても、それに対して遺留分権利者は「遺留分侵害額請求」が可能ということになります。
このように、現行民法は何としても遺留分権利者を守りたいのでしょう、あらゆる方法でもって「遺留分破り」を封じる手を打ってきています。
そうなると、最後の手段として、遺留分権利者の請求に対して「権利濫用」を主張して裁判で戦うということも考えられますが、これについても裁判所が権利濫用を認めたケースは100年間でたったの数回という、とにかく遺留分権利者側を一方的に保護する方針となっていますので、まず望み薄でしょう。
そうなると、もう民法には頼れませんから、何とか他の方法を使ってみようということで、次回は生命保険契約について考えてみたいと思います。

※これはネットで見付けた画像ですが、おそらく僧侶が法話で語った言葉で、般若心経の色即是空から来ているのではないかと思います。
一度ネットで「相続」と検索してみられると分かると思いますが、ほとんど全部が法律と税金、すなわち「ゼニカネ」の話ばかりで、とってもとっても嫌な感じです。
本当の相続とは何なのかについて、この言葉はヒントを与えてくれていると思うのですが、ゼニカネに染まりきった人たちには高尚な理念など到底理解できず、この言葉も「キレイ事」という陳腐な一言で片付けてしまうのでしょうね・・・。






