鴛鴦(OSHI-DORI)外伝その1

第7話:信認関係

幸いにも入院した帯広兼蔵の症状は軽症で、近々に退院できることが決まったとの連絡を長男の帯広義雄から受け、緑野真凛と青芝優也は一安心するのであるが、義雄の次の言葉を聞いて、改めて気を引き締めるのであった。

義雄の話によると、兼蔵所有の収益マンションは、地元の銀行からの融資を使って建設したので、親愛信託したいという意向を伝えたところ、不動産の名義が変わるような行為は約定違反になるので罷りならんと言われたとのことなのだ。

そして証券会社は、親愛信託の話をしても何の話なのか理解すらしてくれようとはせず、義雄は話自体を打ち切ったとのことであった。

「困ったね。どうしようか?」

優也の言葉に、真凛が答える。

「おそらく銀行は、親愛信託で不動産の名義が変わることを、何か誤解しているんだと思うの。だから説明に行けるチャンスがあれば説得できると思うんだけど。」

「でも、僕たちが勝手に動く訳にもいかないしな。」

「やっぱり、当事者である兼蔵さんがご退院されてから、ゆっくりと説明するしかないのかもね。」

「こういったことになると、まだまだ親愛信託も普及途上という感じがするよね。」

「確かに、新しい仕組みで、普及率が高くないし、まだ理解できていない専門家の方が多いくらいだから、銀行や証券会社が理解できないのも無理ないのかも。」

ここで優也が尋ねる。

「でも、もし万に一つ、兼蔵さんにもしものことがありそうな時にはどうするの?」

真凛は少し考えてから言う。

「そうね。本当に万に一つの事態になりそうなら、銀行の意向なんか無視して、とにかく信託契約も登記もしちゃうべきだろうね。」

「そうか、別に銀行の承諾がなくったって契約も登記も可能だものね。」

「でも、やっぱりここは融資してくれている銀行に対しての筋を通すべきだから、兼蔵さんが帰ってこられるまでに考えましょう。それから、もし今の銀行や証券会社がダメだった場合に備えて、親愛信託に対応してくれる所を探しておく必要もあるかもね。」

そこで優也が思い付いたように言う。

「そうだ、閻魔さんに聞いてみよう。閻魔さんなら国税庁のツテで、銀行や証券会社に顔が利くかも知れないよ。」

「なるほど。尽くせる手は全て尽くしておこうってことだね。」

そうして、優也は“閻魔さん”こと下妻数磨税理士に連絡を取ってみた。

「もし、帯広さんの取引銀行が親愛信託に応じない場合、他の金融機関を準備しておく必要があると思うんです。」

しかし、下妻は言う。

「今のところ、このあたりで親愛信託に理解がある金融機関は思い当たらないですね。」

「そうですか。」

「私は地元の信用金庫で名誉職を拝命していますので、さらに情報を集めてみましょう。最近できたばかりの上州信用金庫なんですが。」

下妻のこの言葉に優也が反応する。

「えっ、上州信用金庫ですって??」

「はい、上州信用金庫の監事になっています。」

実は、上州信用金庫とは、優也が以前に勤務していた前橋北信用金庫が幾つかの他の信用金庫と合併して、最近できた法人なのだ。

「中小企業診断士として独立する前、僕はその信用金庫の前身の一つに在籍していたんです。」

優也の言葉を聞いて下妻が言う。

「では、もしかしたら青芝さんの知り合いが居るかも知れませんよね。私のルートからも当たってみましょう。」

そして真凛は、金融機関や証券会社などに、親愛信託を説明するための書類の作成に入っていた。

真凛が優也に話している。

「金融機関や証券会社に説明するための書類はね、親愛信託の有効性というよりも、貸金や預かり有価証券に対して悪影響を及ぼさないことを中心に据えるの。」

「そうか、確かに僕も信用金庫に居た時は、とにかく債権の保全を先に考えていたからね、親愛信託みたいな目新しい仕組みが、貸金の保全や回収に悪影響を与えるようなら認めたくはないよな。」

「親愛信託は、不動産の名義が受託者に変わるから、どうしても不動産自体の所有者が変わったのと勘違いしがちなんだよね。」

「信託には倒産隔離機能っていう、何だか怖そうな機能があるって習ったことがあるしな。」

「そうなの。その機能の本来の意味は、信託財産の名義は受託者に変わるけれど、受託者の個人財産とは無関係だよってこと、つまり受託者が破産や倒産をしても信託財産は守られるって意味なんだけど、倒産隔離っていう言葉のイメージだけで完全に誤解している専門家も多いみたいなのね。」

「証券会社も、なかなか話が通じにくそうだな。」

「そうね。証券会社の場合には、もしお客様が認知症とかになられたら売り買い注文ができなくなって不便だから、親愛信託を使って信頼できる受託者が代わりに売り買い注文をすれば便利でしょってアプローチになると思うんだけど、そうなると今度は“もし受託者が悪い事をしたら”って発想が出てきてしまうみたいなのよね。」

「なるほど。この前の“わ・か・ばグループ”の勉強会で聞いたんだけど、親愛信託の委託者と受託者との関係は、契約関係というのではなくって、本来はフィデューシャリー、日本語では信認関係というらしいね。」

「久しぶりに優也さんの横文字好きが出たわね。それはいいとして、権利と義務とか利害だけで動いてて、違反したら損害賠償みたいな契約関係じゃなくって、“全てあなたに任せる”っていうのが信認関係なのね。まさに帯広兼蔵さんと義雄さんとは信認関係だと思うんだ。」

「そうだよね。兼蔵さんは義雄さんのことを全面的に信頼しておられるみたいだし、もし義雄さんが何か悪いことをしたらなんて発想自体がないようだな。」

「でもね、法律の専門家ってのは、契約関係というのしか視野にないから、どうしても契約書を作るときに“もし相手が裏切ったら”とかマイナスのことばかり考えてしまう傾向があるのね。もちろん普通の契約書ならそれでも構わないのかも知れないけれど、親愛信託の契約は長い期間ずっと続くものだから、それではダメなんだよね。」

「なるほど。親愛信託は僕たち専門家も心して作って、心して寄り添って行かないといけないものなんだね。」

そして数日後、帯広兼蔵は無事に退院し、その翌週から銀行や証券会社への協力要請をスタートすることになった。

(つづく)

※信認関係って、こんな感じかな?マリンと優也さんも、いつかはそうなりたいかも!!