鴛鴦(OSHI-DORI)外伝その1

第6話:バックアップ

帯広家の長である帯広倉蔵の自宅で行われた家族会議の結果、帯広兼蔵の妻・静香の実家の相続については、次男の帯広勝次が窓口となって行うが、実家不動産の共有持分は要求せず、他の二人の兄姉の方針に従う方向で調整をすることになった。

そして、倉蔵は甥のいずれか一人を受託者として親愛信託契約を行い、認知症や重病になった際には自宅不動産を受託者によって売却換金して生涯の生活資金とし、残金は帯広家の永代供養のために使うこととなった。

最後に、兼蔵も義雄を受託者とする親愛信託契約を行い、自宅不動産と収益マンションについては付随債務と一緒に義雄に、金銭や上場株式については義雄と勝次に2対1の割合で承継させることに一応の形ではあるが、そのように決まった。

真凛が優也に話している。

「あと二つほど問題が残っているの。何だか分かるかな?」

「うーん、これで親愛信託契約の大枠も決まったし、兼蔵さんの奥様の相続の件も勝次さんに一任で決まったから、あとは契約書を作るだけみたいに思うんだけど。」

「そう、私たちの仕事の内容はほぼ決まったんだけど、あとは周囲の関係者との問題ね。」

「あっ、そうか。銀行と証券会社だよね。果たして親愛信託を理解して協力してくれるんだかどうだか。」

「そうなのよ。収益マンションに付随している債務があるから、銀行で信託口口座というものを作る必要がありそうだし、証券会社は親愛信託自体を認めてくれるかどうか分からない段階だからね。」

「証券会社にある上場株式を信託したら、どうなるの?」

「これまでは兼蔵さんご自身がしていた株式の売り買いの注文とかを、受託者になる義雄さんが代わりにすることになるね。その意味から、兼蔵さんがまだ元気で、自分で売り買い注文をしたい間に親愛信託を実行してしまうのは難しいのかも知れない。」

「そうだよね。おそらく株価の動きが日々の楽しみだろうからね。」

「だから、証券会社にある株式の半分くらいは売却換金して金銭信託にしておいた方がいいと思うのね。」

「そうか、株式投資は日々の楽しみの範囲くらいで我慢してもらうってことだね。」

「ちょうど孫の優馬さんへの将来の教育資金の確保という名目があるから、義雄さんから話してもらおうと思うの。」

こうして着々と進んでいる案件の話を楽しんでいる二人に、帯広義雄から連絡が入った。

「父の持病だった糖尿病が悪化しまして、明日から入院することになったんです。」

真凛が聞いたところによると、兼蔵の持病は慢性で、急に非常事態に陥ることはないとは思われるが、年齢的には予断を許さないという感じであった。

「とりあえず、“とりあえず”の書類を作って出向きますので、少しだけお待ちください。」

優也が聞く。

「とりあえずとりあえずの書類って、もしかして、あれのこと?」

真凛と優也は、おしどり運送の案件の時に、高齢の依頼者から“とりあえずの書類”を貰っていたおかげで助かったという経験をしているのだ。

「そう、あれのことだよ。本当はもっと早くに貰っておくべきだったんだけど、兼蔵さんがお元気そうだから油断していたわ。」

「でも、概ねの内容は決まってるから、良かったよね。」

「じゃあ、今から書類を作るから、私の事務所に来てくれるかな?」

「えっ、行っていいの?」

真凛は、優也を部屋に誘ってから、“しまった”と思った。

まさか今日、優也が来るとは思ってもみなかったので、部屋が片付いておらず、女の子らしくなくなっていることを思い出したのだ。

でも今はそんなことを言っている場合ではない。

真凛の自宅事務所近くの駐車場に車を止めてから、真凛は優也に言う。

「ちょっとだけ、ここで待っていてくれるかな。あのー、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ用事があるから。」

優也は全て承知のようで、何も言わなかったが、真凛はとっても恥ずかしい気持ちだった。

10分後、真凛からの連絡で入室を許された優也は、それとなく部屋の中をチェックしたのだが、特に何か隠した痕跡もなく、少し残念に思っていた。

真凛は、既にある程度の文案を用意していたようで、テキパキとパソコンのキーボードを操作して書類を作って行き、優也はプリンターの前に座って紙を取り上げたり、ホッチキス止めや袋綴じをするという単純作業をさせられている。

そして数十分後、“とりあえず信託契約書”“とりあえず死因贈与契約書”そして“とりあえず登記原因証明情報”“とりあえず登記委任状”という四種類の書類が完成した。

「では行きましょう、運転手君。」

冗談めいた真凛の言葉に、優也は二人が出会った最初の頃の仕事のことを思い出している。

あの頃は、互いに身分を隠して“可愛い秘書”と“無能な運転手君”だったな、でも今はガッチリと組んだパートナーになっている、優也は感慨深い気持ちであった。

そして優也が立ち上がろうとした時、真凛が言う。

「ちょっと待って。忘れてたことが。」

「えっ、何を忘れたの?」

そう言っている優也を尻目に、真凛は冷蔵庫の中から、いかにも甘そうなチョコレートの固まりをペロっと口にしている。

「糖分補給を忘れたの。」

どうやら真凛の原動力は甘味らしい。

「優也さんも、おひとつ如何?」

甘いものは苦手の優也は、それを丁重に断ってから、ゆっくりとドアを開けて外に出た。

帯広家に着いた二人は、兼蔵と義雄に“とりあえず”の書類について詳細に説明した後、その一つ一つにサインと実印の押印を求めている。

これらの書類は、それぞれはA4判の用紙1枚に収まる程度の内容しか書かれていないが、この書類だけでも最低限は先日に決まった兼蔵の財産に関する希望を叶えることができ、不動産については登記をすることも可能になるものである。

しかし、今回の場合は兼蔵が無事に退院してくる確率の方がずっと高そうなので、これらの書類は後日に正式な書類が完成するまでのバックアップとして、真凛が保管しておくことになっている。

兼蔵は、書類を書いた後、兄の倉蔵に連絡して、倉蔵にも同様に“とりあえず”の書類を作っておくよう薦めてくれたので、翌日には倉蔵からも同様の文書を貰えることになった。

(つづく)

※優也さんったら、真凛の部屋がこんなになっちゃってるって思ったんでしょうね。失礼な!!