鴛鴦(えんおう)(OSHI-DORI)外伝その1

第2話:チェックシート

下妻数磨税理士が、「中小企業診断士・アオシバ総合経営オフィス」という大層な名前を付けられているが、実際には単なる青芝優也の自宅である群馬県前橋市のマンションの一室にある事務所で、緑野真凛司法書士と青芝優也中小企業診断士に、紹介する案件の内容を説明している。

依頼者は帯広義雄47歳で、その父・帯広兼蔵74歳の財産に関する件であるという。

兼蔵は不動産や上場株式への投資が好きで、自宅不動産を含む数億円の財産を所有していて、今は自分で管理しているが、1年前に妻を亡くして以来、物忘れがひどくなってきており、そろそろ税金対策を含めた相続の準備が必要なのではないかと長男の義雄が心配して、帯広家のある群馬県太田市から渡良瀬川を渡ってすぐの栃木県足利市で開業したばかりの下妻税理士に相談しにきたということである。

「親愛信託で認知症対策ができると聞いていますので、緑野さんたちにチャッチャっと設計していただきたいと思いましてな。なに、緑野さんたちにとっては小遣い稼ぎみたいな簡単な仕事ですから、すぐに終わるでしょう。税金関係は私が引き受けますから、ややこしい部分については心配要りませんし。」

「それは心強いです。」

優也の言葉に、下妻は余計なことを口走る。

「私は国税では法人税調査一筋でしたから、相続税のことはよく分からんのですが、まぁ何とかなるでしょう。」

その言葉に、真凛は一抹の不安を覚えたが、優也は気が付かないのか、能天気に話している。

「法人税の調査ですか!きっと“鬼の下妻”とか呼ばれてたんでしょうね。」

それには、下妻はしらっと答える。

「いえ、“閻魔の下妻”ですよ。」

真凛は、二人の話は気にせず、“わ・か・ばグループ”の勉強会の中で先達から学んだ様々なことを、頭の中で思い出していた。

“一見して簡単と思われる案件の中にこそ、実は難しい問題が隠れていることが多いらしいから、これは気を引き締めてかからないといけないわ。”

下妻が帰った後、真凛と優也は、下妻が置いて行った資料に目を通している。

「この家系図だと、帯広兼蔵さんには長男の義雄さんの他に、次男の勝次さんがおられるようだけど、兄弟の関係はどうなんだろうか?」

真凛の問いに、優也が答える。

「閻魔さんは何も言っていなかったから、大丈夫なんじゃないの?」

優也は、下妻の国税庁現役時代のニックネームが痛く気に入ったらしい。

「でも、この図を見る限りでは、義雄さんには奥さんと子どもさんが居るけど、勝次さんは独身だから、先の先の相続まで考えると、少し工夫が必要になるかも知れないよ。」

「先の先の相続か。僕も最近まで考えたことがなかったけど、確かにそうだよね。」

「それと、この図では兼蔵さんと亡くなった奥さんの名前より向こうの情報がないけれど、そのあたりもヒアリングしておかないと。」

「その向こうって?」

それについて真凛が説明しようと思った矢先、優也の携帯が着信音を鳴らした。

“閻魔さん”からのようだ。

下妻が帯広義雄に連絡したところ、早速今からでも真凛と優也に会いに行きたいと言っているらしい。

真凛と優也がカフェに行き、真凛が砂糖スプーン5杯入りのコーヒーを嗜んだ数時間後、義雄が優也の事務所にやってきた。

義雄はごく普通のサラリーマンらしいが、とても細身で、47歳という年齢にしては、何となく頼りなさを感じる人物であった。

少し緊張しているらしい義雄の気持ちを、優也は地元のラグビーチームである“前橋ワンウェイズ”の話や、帯広家の近くにある、森高千里の歌で有名な渡良瀬橋の話など、取り留めのない話題でもって和らげている。

こういった部分については、真凛より優也の方が数段上であると、真凛は認めざるを得ないのだ。

義雄の気持ちが和らいだ頃を見計らって、真凛が先ほどのカフェでコーヒーの砂糖を混ぜながら考えを纏めていたヒアリング事項に入る。

そして幾つかの質問の答えを得た後、真凛は2枚の紙を取り出した。

その表題には“親愛信託活用チェックシート”とあり、1枚目が“財産管理編”、2枚目が“資産承継編”と書かれている。

これは、真凛が“わ・か・ばグループ”の先達から教えてもらったもので、対象顧客に合わせて1枚に8項目くらいの質問事項が設定されており、◎〇×△で回答するようになっているものだ。

義雄は、真凛から渡された2枚のチェックシートを丹念に読み上げては、1項目ごとにゆっくり考えているようであった。

そして、財産管理編では、元々の相談のきっかけであった“認知症対策”には◎を、そして”不動産法人化“に△を付け、資産承継編では、“脱・相続”や“受益者連続”といった、一般人にとっては聞き慣れない言葉に反応して〇や△を付けている。

真凛は、チェックシートを見ながら、義雄に尋ねた。

「お父様の認知症対策については想定していましたが、脱・相続や受益者連続にも興味がおありなんですね?」

「はい、実は私の弟の勝次なんですが、いつまでも独り者で、今は疎遠になりつつありますし、いずれ兄弟で父の財産について揉めることがないようにしておきたいと思ったのです。」

「それから、不動産法人化については?」

「父が節税対策ということで、借金をして収益マンションを建てているのですが、私の代になった時に自分で管理できるかどうか分かりませんので、法人化という方法も検討してみたいなと。」

ここまでテキパキとヒアリングを進めてきた真凛の姿を、優也は眩しそうに見ていたのだが、ここからが優也の出番のようだ。

「収益マンションの経営状況をお聞きしたいのですが。」

「はい、元々が相続税対策ということから、建設会社主導で建てたものらしいので、数字的にはこんな感じでして。」

義雄が持参してきた収支表を分析している優也を、今度は真凛が眩しそうに見ている。

この二人の組み合わせはベストフィットであるようだ。

(つづく)

 

登場人物紹介

帯広義雄(おびひろ・よしお 47歳)

今回の仕事の依頼者で、下妻数磨税理士を通じて真凛たちが紹介を受けた。

資産家である父・兼蔵の相続税対策と併せて認知症対策もしておきたいとのことから、親愛信託の組成を頼みたいようである。

妻と高校生の息子がおり、父所有の二世帯住宅で同居している。

※国税調査官って、やましいことをしている人たちから見たら、こんなイメージなのかしら? 閻魔帳っていう帳面も持ってるしね!