Beautiful Dreamers

~夢と愛に想いを賭けた人たちの群像劇~ 連載第22回

第2章:ペディグリー 第10話

それよりも、司郎にとって問題なのは、5000万円という現金を3ヶ月以内に用意しなければならないことであった。

JRAの馬主資格を得て以降の司郎は、あまり金銭への執着がなくなっていた。

だからW社の現金が足りないと言われれば貸し、神田三郎の教会が危ないと言われれば貸し、白石裕也には陽花里の治療費を貸し、どれも実際に回収できる見込みはない。

残されている大きな財産としては、結構な金額を掛けて新築した自宅の建物と土地だが、これは目先の節税の誘惑に取り憑かれて3分の1の持分を生前贈与で亡妻・桜子の名義にしてしまったばっかりに、今は桜子の他の財産と共に凍結してしまい、売却することができない状態にある。

そこで司郎は一つ思い出した。

「そうだ、恵庭牧場がある。」

恵庭牧場、正式には農事組合法人恵庭牧場と言い、司郎の亡父が創業した、新冠にある大きな酪農牧場である。

今は司郎の兄・正吉が経営しているが、かつて父が出資した1億円という資本金の半分は司郎の権利になっていると、里田司法書士から聞いたことがあった。

翌日、司郎は新冠に向かい、恵庭牧場で兄の正吉と会う。

「兄さん、久しぶり。」

「司郎、元気だったか。お前のダンサーちゃん、またブービー、これで89連敗か。」

普段はあまり交流のない兄であるが、いきなりルミエールダンサーの話題を出してくるあたり、一応は弟のことを気に掛けてくれているようである。

しかし、正吉は言葉を続けた。

「ダンサーちゃんを最後にお前の馬道楽は終わりらしいから、俺も安心だよ。どうせなら100連敗して日本新記録で有終の美を飾って見せろや。」

司郎は少し気まずい気持ちになりならが、意を決して言う。

「兄さん、いきなりで悪いんだけど、この牧場の出資金のことで。」

「あぁ、分かってる。お前に半分の権利があるからな、俺が死んだら後は頼むぞ。」

正吉は生涯を独身で通したため、相続人は司郎一人しかおらず、自分が死んだら弟に権利が移ることは分かっているらしい。

「そうじゃなくて、あの、俺の持分を買い取ってくれないか?」

「何を言ってるんだ、もしかしてお前、会社が大変なのか?」

「いや、そういうことではないんだけど。」

司郎は、どうしても兄に、新しい競走馬を買うなどとは言い出せない。

正吉は、司郎が長男の駿馬を追い出したことを、今も怒っているのだ。

正吉の願いは、駿馬に恵庭牧場を継いでもらうことだったのだから。

「駿馬とはいずれ、きちんと話をするから、この件は少し考えておいてくれ。」

司郎はそう言い残して、正吉の牧場を立ち去った。

(つづく)

登場人物紹介(第19回~第22回)

・恵庭正吉(えにわ・しょうきち 77歳)

恵庭司郎の兄で、新冠地区で酪農を営んでいる農事組合法人恵庭農場を父から引き継いで経営している。

生涯独身で、弟の司郎以外に相続人がおらず、将来は恵庭農場を恵庭駿馬に引き継いで欲しいと考えているが、司郎は反対している。