天下の悪法“遺留分”を回避せよ! “How to Avoid Bad Law!”

第16回:「天下の悪法」をどう変えるべきかを考える~その2

遺留分制度を廃止した上で、遺言のイメージをアップさせて、一般市民が遺言さえしていれば自らの希望通りの財産承継が可能になる、その日が来るまでにいったい何年、何十年を要するのでしょう。

その意味から、もう少し手っ取り早い方法を一つ提案しましょう。

それは、民法は当面そのままにしておきながら、信託法や保険法の方を変えるのです。

例えば、最も手早い方法は、信託法や保険法にたった1ヶ条、「この法律に定められた規定は、民法の規定に優先して適用される。」という趣旨の条文を付け加えるだけで、実は全てが一応は解決するのです。

生命保険は長い時間を費やして、ようやく最高裁判決でもって民法からの脱却に成功しましたが、まだ「類推適用による持ち戻し」という不十分かつ不安定な要素を残したままです。

信託は未だに訴訟にすらなっていません。

それが、たった1ヶ条の条文追加で解決するのですから、一考の余地があるのではないでしょうか?

そして、可能であるなら民法側の相続の部分にも「ただし別の法律に規定のある場合にはそちらに従う」という趣旨の条文を付け加えていただければ、より完璧になるでしょう。

例えば現行民法の第896条「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。」を

「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したもの、および他の法律に基づいて承継先が決せられてる財産については、この限りでない。」とすれば良いのです。

そうすれば、今でも一部の専門家が思い込んでいる「相続法は強行法規だ」という誤解も払拭できます。

しかし、おそらく間違いないのが、この法改正案に対する「民法サイド」からの大反発が起きることでしょう。

彼らの多くは、単に新しい考え方を受け入れることに抵抗のある頭の古い人たちであったり、法律学者以外の者から出た意見を通したくないといった意地の問題だけであったりするのでしょうけれど、中にはこの連載の第12回で書きました「遺留分制度を利権にしている人たち」が存在し、また大変マズいことに、その人たちの法律界での影響力は非常に大きいので、それはもう本気で反発してくるでしょう。

50年以上前のアメリカで勃発した、ノーマン・デイシー氏と法律家業界との激しい戦争が、場所とテーマを変えて我が国で再現されるのではないかと思います。

それに対抗するためには、これは何度も申し上げていますように、一般市民の一人でも多くが遺留分問題に気付き、それぞれが声を上げ、その人たちを応援してくれる良識ある法律家が個々の訴訟にも打ち勝ち続け、そして世論として形成して行けば、ごく一部の専門家の利権保護の意見など吹き飛ばせるのではないでしょうか。

そうです、ノーマン・デイシー氏が最後には法律家業界に勝利したように、国民の声という最強の「錦の御旗」を手に入れるのです。

また、法改正と言えば、信託法にもまだまだ不備な点が多くあり、改正が必要であると思います。

元々は金融的な信託を規制する法律だったものに、急にアメリカのliving trust(生前信託)のような一般人が使えるルールを付け加え、しかも両者を条文の中で混在させてしまったのですから、不備があるのは当然です。

実際、個人が行うliving trustでは絶対に必要ないような条文、例えば「債権者集会」だとか「受益証券発行信託」だとかに相当量の条文を費やしていますので、おそらく全271条のうちの6~7割くらいが個人向きの信託では不要な条文となるのではないかと考えられます。

そこで信託法に関しては、金融的な部分を切り離して例えば「金融信託法」みたいなものに変えて、living trustに相当する部分については別途に「個人向き信託法」のようなものを制定すれば、この問題は解決します。

ここでは仮に「親愛信託法」と名付けておきますが、おそらく親愛信託法の条文は50~70ヶ条くらいで全てキレイに収まるのではないかと考えています。

現在でも信託法の中に、個人向きの信託の普及の障害になっている条文は幾つかありますし、本来は金融信託向きの条文なのに、あたかも個人でも使えるというような誤解を招いてしまうような条文も少なからず存在していますので、そちらの修正も必要となると思います。

例えば「1年ルール」と呼ばれる信託終了事由を示す信託法第163条第2項「受託者が受益権の全部を固有財産で有する状態が一年間継続したとき。」ですが、これは商事信託を前提として物事を考えていたであろう立法者が、「受託者である信託会社が受益権を保有するということは、もう信託の意味がないであろう」と思ったのか、あるいは自己信託をすることで脱税とか強制執行逃れとか何らかの違法行為を意図する者が出てくるのを封じようと考えたのか、ここに限ってアメリカ信託法には存在しない我が国独自の規定を取り入れているのです。

しかし、仮に一般市民が自己信託をして、自分が委託者・受託者・受益者を兼務(これを三位一体型と言って批判する専門家も居るようですが)したとしても、これでもって脱税とか強制執行逃れが可能になるというものでもなく、本人がそうしたいのであれば全然構わないことだと思いますし、現在はこの1年ルールが邪魔になって自己信託が普及しないという事情もあるのですから、この条項は削除すべきです。

その他にも「親愛信託法」独自の規定も考えられるでしょうから、心ある専門家の方々には前向きなご提案をいただきたいと願っております。

※これは明治3年に発行された20円金貨の裏面らしいですが、左右に「錦の御旗」が描かれています。

実は私は会津が大好きでして、戊辰戦争では幕府方贔屓なので、必ずしも錦の御旗が好きではないのですが、確かに戦争を早く終わらせる効果として、これの存在は大きかったと思います。

余談ですが、明治時代の金貨の最高単位は20円で、これが株式会社の1株の金額となり、やがて50円→500円→5万円→無額面となったのですが、つい最近まで20円額面の株式会社が存在していました。

現代とは違って、明治時代の会社の株主になる人は、こんな大きな金貨を持っている立派な人だけだったのですね。