第16回:「『モノ』を言う‼闘う若手司法書士の進言」

では、現在でも日本の金融制度を担っている銀行について触れてみたいと思います。前回申し上げたとおり、司法書士の登記業務は銀行と関わらないと、なかなか「登記の専門家」

と言われながら、登記だけでは、事務所が成り立ちません。メインは、主に「抵当権」に関する事です。「抵当権」という言葉は、専門家以外の方もお聴きになったことがあると思います。

「抵当にとられる」。かつて、竹内力主演のドラマ「ミナミの帝王」が流行りました。いまでは、「コンプライアンス」上、フィクションではありますが、地上波では放送が難しいでしょう。今、思えば、「ミナミの帝王」の主役はヤミ金でしたが、人質はとっていなかった様に思います。

話を元に戻すと、「抵当権」は、住宅を建てる際に、銀行その他の金融機関から「金銭消費貸借契約」を締結し、住宅の購入費又は建てる金額、土地の購入費用を借りて、その担保(保証)として、土地と建物(住宅)に抵当権を設定します。よって、「住宅ローン」と銀行は言っているのに「住宅ローン」の為に「金銭消費貸借契約」と「抵当権設定契約」、2つの契約を締結します。そうです、「住宅ローン」と言っても、お金を借りて(債務者)となり、抵当権(担保)を提供する(設定者)、2つの契約上の地位が発生します。このおかしな現状に日本の金融の専門家、法律の専門家、日本の官僚機構まで、疑念を呈しません。

私も信託を生業とするまで、そうでした。「銀行の言うことは、全て正しい」そういった

感覚を持っていました。

しかし、よく考えてみると、「住宅」を購入するために、購入する側は、一般債務者、抵当権設定者という2つの地位に位置づけられ、銀行は「住宅」の購入資金提供をしただけで、

一般債権者、抵当権者と強い2つの地位を確保できる。この時点で、1つの事をするだけで、

2つの「モノ」を銀行に握られる。銀行も法人です。日本国憲法に「法の下に平等」とあるにも関わらず、これでは、とても平等とはいえません。また「お金」を借りたお礼(「お米の消費貸借の発想から」(『色をつけて返す』―これは玄米を借りて白米を返す発想からきてるらしいです―)として、金利を支払う。よく考えると、あまりにも銀行に有利過ぎませんか。(司法書士まで、御用聞きにさせて)

これは、民法が明治時代の「文明開化」に伴い、大陸法(ドイツ、フランス法)に習い、

制定された事が起源としてあります。基本的には100年前に制定された法律で日本の社会は、未だに運営されています。