天下の悪法“遺留分”を回避せよ! “How to Avoid Bad Law!”

第15回:「天下の悪法」をどう変えるべきかを考える~その1

これまでの連載で、如何に遺留分制度に問題があるかはご理解いただいたと思いますし、生命保険と信託とを活用して何とか遺留分制度と戦おうとしている人たちが居るということも分かっていただけたと思います。

確かに生命保険と信託を駆使すれば遺留分と戦うことは可能でしょう。

しかし、根本的には民法を改正して、国民不在の制度である遺留分の条項自体を消してしまうのがベストであるというのは、揺るぎない真実です。

現行民法でも、遺留分制度さえ存在しなければ、遺言書1枚で財産所有者の願いは叶うことになりますし、また親不孝者や居座り配偶者が権利を振り回して立ち向かってきて、正直者が馬鹿を見る、「笑う相続人」が跋扈するというような異常事態を封じることも可能になり、ひいては親孝行の奨励や兄弟姉妹は仲良く夫婦は円満が必要であるという社会道徳の向上にも繋がって、全てが丸く収まるのではないでしょうか。

さて、遺留分制度が存在しない法改正をするとするなら、最も簡単なのは、そもそも遺留分制度が存在せず、かつ信託が普及しているアメリカの制度を参考にすることです。

しかし、アメリカの制度には、「Probate(検認手続き)」という国民に大変評判の悪い仕組みが入っています。

それは、アメリカでは相続を日本のように「ヒト」の問題とは考えず、会社の「清算手続き」のように扱っており、相続財産は全て裁判所の管理のもとに清算され、借金や相続税の支払いまで国が面倒を見てくれて、最後に残った財産だけを遺言に書かれている人か、遺言がなければ「手を挙げた人」に渡すというシステムで、当然のこと、多額の裁判所費用や弁護士費用が必要になり、一説によるとお金持ちのちょっと揉める相続では財産の8~9割が手数料で消えてしまうそうで、だからProbateを回避できる信託が普及しているのです。

実は我が国にも「限定承認」と呼ばれるProbateと少し似た制度が存在するのですが、ほとんど使われていませんし、我が国の司法制度に関与する人たちのマンパワーの限界を考えると、全国民の相続に裁判所が関与するというProbate制度は物理的に不可能でしょう。

その意味からは、我が国の民法を改正するとすれば、遺言制度をさらに整備することが先決なのかも知れません。

しかし、現実には我が国の遺言制度には数々の不備な部分があり、これを「万能のツール」とするには危険が伴ってくるような気がします。

また2019年7月の法改正では、遺言があっても不動産などについては先に登記をした者が勝ってしまうという制度になったようなので、遺言自体の効力は低下していることも知っておく必要があるでしょう。

現在の遺言制度ですが、危急時遺言のような特殊な制度を除外すれば、自筆証書、公正証書、秘密証書、の3種類が元々から存在し、それに加えて2020年7月10日から(どうして10日なんでしょう??)から新たにスタートする「法務局による自筆証書遺言保管制度」が加わるといったイメージです。

それぞれに検討してみますと、まず自筆証書については、以前は全文を自筆で書かなければならず、また少しでも様式が間違っていると無効になるなど、複雑な内容の遺言になる場合には一般人では簡単に対応できないものでした。

最近では財産目録などに関してはワープロ印刷でも良いという制度にはなりましたが、未だに主要部分については自筆が要求されますし、1枚しかないので紛失のリスクがあり、何よりも相続開始後に裁判所による検認手続きが必要となり、その際に法定相続人全員に通知が行くことになりますので、その段階で揉め事の原因となることもあり、ある意味では不安定な遺言書となってしまいます。

近々にスタートする法務局保管制度を利用すれば、様式間違いの無効や紛失リスクは解消されるかも知れませんが、やはり不安定であることには変わりないでしょう。

その点、公証人が関与して内容は確実なものになり、かつ事後の証明も容易な公正証書遺言は非常に良い制度であると思いますし、これを作っておけば検認手続きも不要になるなど、全体的な手続きをスムーズに進めることができますが、その半面、遺言を作るにあたって公証人1人の関与は致し方ないとして、証人としてさらに他人を2名用意しなければならないので、遺言の特性である「秘密性」が失われてしまうという問題があり、さらに相当額の費用がかかることも一般市民にとっては障壁となっています。

その点においては、秘密証書遺言は公証人と証人2名の関与は必要とは言え、遺言書の中身は遺言者のみが知っているだけで公開されませんし、費用も一律に11000円ですが、公正証書とは違って遺言の中身に関する証明は不能で、あとの手続きも自筆証書遺言と同様に結構大変になります。

そういったことから、遺言制度をさらに国民にとって分かりやすく使いやすくすることが必要なのではないかと考えます。

そして、それよりも何よりも、我が国で遺言制度がなかなか普及しない大きな原因として、抽象的なことではありますが、「遺書」と区別がつきにくい「遺言」という言葉に対しての

「イメージ」の問題があると思います。

実は正式な法律用語では、遺言を「ゆいごん」ではなく「いごん」と発音し、「分かっているつもり」の法律家は「いごん」と言わなければならないと思い込んでいる節があり、その「遺書」と区別が付かない発音から、一般人が「死」という暗くて後ろ向きのイメージを描いてしまうことも普及の妨げとなっているのでしょう。

遺言は英語では「WILL」と呼ばれ、そんなに悪いイメージがないので普及しているのでないかと想像するのですが、果たして「いごん」という日本語、もっとポジティブなものに変えることはできないのでしょうか?

法改正のお話は次回に続きます。

※遺言を扱った映画やドラマは幾つかあるようですが、そこでの遺言の扱いは、私たち専門家が思っているような「ゼニカネ」の問題ではなく、高度に精神論的なものであることがほとんどのようです。

この「明日への遺言」は、私が大好きだった藤田まことさんの遺作となった映画で、戦争犯罪人とされた岡田資中将の戦後裁判を描いた作品ですが、本来の「遺言」とは、たかが紙切れ1枚に何が書いてあるかなどという小さなテーマではないという真実を示している作品だと思います。