天下の悪法“遺留分”を回避せよ! “How to Avoid Bad Law!”

第8回:「天下の悪法」の歴史を考える~その3

遺留分という考え方が我が国に入ってきたのは明治民法からだと思われます。

と申しますのは、これも連載小説の中で何度か解説しましたように、明治以前の日本には「田分け」と呼ばれた時代が僅かには存在しましたが、田分けによって結局は国が滅亡してリセットされるため、ほとんどの時代においては財産権自体が全部国有であるか、あるいは「継子単独相続」と言われる完全な家督相続の時代でしたから、遺留分という発想自体が必要とされなかったのでしょう。

ところが、明治民法で「家制度」を法律的に確立しようと考えた時、一つの問題が生じます。

明治民法においては、家督相続が大原則ではありますが、フランス民法をベースにしていることから、「遺産相続」と呼ばれる、遺言を書くことによって相続人を決めることも可能という二重構造となっており、かつ贈与税がなかったことから自由に生前贈与ができたので、例えば戸主が家督相続人ではない者に対して遺言もしくは生前贈与でもって大きな割合の財産を渡してしまった場合、「家」の財産が守られず、ひいては家督相続人が責任を持って扶養すべき兄弟姉妹などの一族の生活に支障が出てきてしまう虞があるのです。

そこで明治民法は、家督相続人に「遺留分減殺請求権」という権利を与え、さらに「特別受益の持ち戻し」という制度を加えることにしました。

これは、戸主が遺言や生前贈与によって、家督相続人以外の者に一定割合以上の財産を渡してしまった場合に、家督相続人が請求することによって取り戻せるという仕組みで、現在の民法における遺留分侵害額請求権と内容は似ています。

しかし、この遺留分減殺請求制度には、当時は正当な意味がありました。

それは、当時の発想においては、財産の所有者は「個人」ではなく「家」なのですから、家督相続人の財産は、その「人」の財産ではなく、「家」の財産となります。

そうすると、いかにその財産の名義を持っている戸主であっても、その「家」の財産を勝手に他の者に渡してしまうことはできないと考えるのが自然なことです。

このあたりが、この連載の第2回で書きました「被相続人が自由に処分できる財産の割合は制限されている、だから相続割合は国家が法律で決めるべきなのだ。」という発想に繋がってきているのかも知れませんが、少なくとも明治民法の時代においては、これは正当な考え方であったのではないかと思います。

当時の発想なら、「もし親が全財産を愛人に渡すと遺言したどうするのか?」に対する答えとして、「そんなことを許せば家の財産が毀損されるので、取り戻す方法が必要だ。」ということになるのでしょう。

そういった意味から、当時の遺留分減殺請求権は極めて健全な発想のもとで作られ、おそらくは健全に運用されていたものと考えられます。

さて、そして昭和22年、家制度を「旧悪」として完全に排除する新民法の制定となりました。

ここも連載小説の第15回以降に詳しく書いていますが、本来であればこの段階で十分な議論をした上で、遺留分制度の存続か廃止かの決定をすべきであったと思います。

新民法の立法段階で、日本国憲法がアメリカ主導で作られているのに、民法がフランス法制そのままというのはおかしいという議論があり、実際に遺留分制度を廃止すべきと主張した立法者も存在していたとの話を聴いたことがあります。

しかし、真相は分かりませんが、GHQの財閥解体という大きな方向性の中で、ご存知の通りの内容で新民法は決められてしまいました。

新民法における遺留分制度は、条文自体が明治民法の時代とほとんど同じ内容でありながら、ただ「主役」のみが家督相続人から法定相続人へと変えらました。

それにより、以前は「家を守る」ための制度であったものが、全く正反対に「家を潰す」ための制度としてリニューアルスタートしてしまったのです。

やがて国民も、「相続は平等」という明らかに間違った言葉に踊らされ、あたかも親の財産は自分たちのものであるかの誤解を広げてゆくことになります。

実際、現在では「法定相続が当たり前」と考えている国民がかなり多く、「財産はあなたのものですから、あなたが思われる通りに遺言を書かれたら良いのですよ。」と話をしても、頭から否定して遺言すら書こうとしない人が少なくありません。

そしてさらにいけないのが、法律専門家も素人と同じレベルで「法定相続が当たり前」と思い込んでいるという事実です。

「相続セミナー」などと名付けられた専門家の講義で、最初にサザエさん一家の家系図を示して「波平さんが亡くなられたら、フネさんが半分、カツオくんたちが各6分の1」などという話が堂々とされているという噂を聞いたことがありますが、まさに「タワケ!」以外の何物でもありません。

さらに最近はやりの、テレビから一方的に流されてくる軽薄な法律相談番組では、親不孝者からの相談に対して、二言目に「あなたには権利がある。訴えてやりなさい!」と紛争を煽るのですから、本当に世も末と嘆くしかありません。

次回からは、いよいよHow to Avoid Bad Law!、悪法を回避するための手段について考えてみたいと思います。

※未だに放映が続いている「サザエさん」ですが、一番最初の「夕刊フクニチ」という福岡の新聞への連載開始は昭和21年(1946年)4月ですから、日本国憲法ができる前であり、実はまだ旧民法が適用されていた時代であったということになります。

すなわち磯野家は、元々は「家制度」を前提として構成されているということなのです。

この時代であれば、磯野家の家督相続人はカツオくんで、フグ田家の将来の家督をタラオちゃんが継ぐということで、おそらく何の問題もないのでしょう。

そして、もし波平さんが遺言で「愛人に全部」などと書いてしまうと、家督相続人であるカツオくんが、磯野家の財産を守るため、今は亡き波平さんの愛人さんに対して「遺留分減殺請求権発動!」ということですね。

この家系図を、現代の無知な法律専門家が「法定相続のモデル」として使用しているというのは、何とも皮肉な話ではないかと思いませんか?