天下の悪法“遺留分”を回避せよ! “How to Avoid Bad Law!”

第7回:「天下の悪法」の歴史を考える~その2

連載小説の第13・14回にエピソードとして紹介していますが、明治民法はフランスのナポレオン民法典をお手本として作られたものの、ただ相続制度だけは日本の古くからの慣習を取り入れて、隠居と家督相続を制度化しました。

これもGHQの陰謀なのかどうかは分かりませんが、現在の日本人、特に法律に関わっている人たちの頭の中には、とにかく「家制度」は悪なのだという思い込みがあるようです。

確かに、家制度には問題は多々あるとは思います。

例えば現在では常識である両性の平等という観点から見れば、原則として長男が家督を継ぎ、極端な部分としては「妻は無能力」とされていて、妻は現在の未成年者や被後見人と同じように自ら財産を管理することが許されていなかったのですから、これらの部分については当然に改正しなければならないでしょう。

ただ、家督相続にも例外があって、例えば長男と長女がいる家で、長男がとんでもない放蕩息子であった場合には「廃嫡」と言って、家督相続人としての権利を剥奪し、代わりに優秀な長女を家督相続人とすることは可能でした。

今度新しい1万円札の顔となる渋澤栄一さんが、放蕩を続ける長男を廃嫡したという話は有名です。

また、商売をしている夫が死亡した際には妻が「妻登記」をして、亡き夫の代わりに財産権や営業権を持つという制度も存在していましたので、必ずしも一方的な性差別であったとは言い切れません。

私事ですが、私の祖母は実際に「女戸主」として大阪のミナミで桐問屋を営んでおり、今でも祖母の遺品である桐箪笥が私の自宅に飾ってあるのですが、それを見る度に明治民法に思いを馳せることができます。

また今は存在しない「隠居」制度ですが、これも極めて合理的な発想であると思います。

戸主は60歳を迎えるか、あるいは重い病気などになった場合には、家督相続人に「家督」を譲って生前相続できるということですから、早い時点からじっくりと準備して隠居できる訳ですし、隠居した人は家督相続人を後ろから助けることもでき、家督相続人も経験豊富な「ご隠居さん」に相談しながら家業を進められるということは、まさに現代の中小企業で成功している事業承継の典型例みたいなもので、とても合理的かつ素晴らしい制度だと思われませんか?

これも私事で大変恐縮ですが、実は私はこの隠居制度に魅せられてしまいまして、今から約2年前に60歳を迎えたことを機に、実際に隠居をして後継者に事業を全て譲った経験があり、隠居制度の素晴らしさを誰よりも語れると自負しています。

ところが、実際のところ、現代の制度では明治民法と全く同じ形での隠居は困難です。

何故かと申しますと、現在の法律における相続とは、全て人の死亡によってしかスタートできず、それが税制にも反映されており、もし生前相続をしようとすると、超多額の贈与税が課せられてしまうからです。

ですから、私の「隠居」も、実際に後継者に財産を贈与することはできませんので、現実には信託を使った「疑似隠居」の形で行いました。

少し話が逸れますが、明治時代にどうして生前相続が可能だったかと申しますと、最大の理由は「税金を気にしなくてもよかった」ということなのです。

明治38年(1905年)までは、日本の税制の中に相続税という観念自体が存在せず、日露戦争の戦費調達のために新設されたと言われている相続税も、当時の税率は1.2%(家督相続人以外は1.5%=2割加算)と低率でしたから、税金のことは全く気にしないで生前相続が可能だったということです。

これも余談になりますが、新民法が制定された後の税制改正では、財閥解体という目的もあって、相続税率がいきなり最高90%というとんでもない割合になり、さらに贈与税も新設されましたので、もう生前相続は不可能となり、実質的に隠居も不可能となったのです。

ところが、ここに書きましたような明治民法の実際の内容については、過去の法律ということで大学の法学部でも学ばないでしょうし、当然のこと国家試験の問題として出てくることもありませんので、法律専門家もほとんど知らないというのが現実なのです。

これは、外国の法律に関しても同じことが言えるのですが、我が国では法律の専門家がとにかく現在使われている法律ばかりを一生懸命に勉強し、過去の歴史や外国の現状などには全く興味を示さないというのは、大いに問題があると私は思います。

本来、歴史は現在の原点ですし、世界の中での日本は弱く小さな存在に過ぎないのですが、現在の日本に住んでいると、そのことを忘れて「今の日本が全て」と思い込み、歴史は「過ぎた昔のこと」、外国は「別の国のこと」と簡単に無視してしまいがちになるのでしょうけれど、それでは物事の本質は見えてこないと思います。

では、次回は明治民法における遺留分制度について考えてみようと思います。

※これは大阪法務局に展示されていた、本物の「妻登記簿」です。

文中で紹介しました私の祖母も、祖父を亡くすまでは「行為無能力者」扱いをされ、「女戸主」となった後も、あらゆる偏見や差別と闘ってきたのだと思いますが、きっと当時はそれが当たり前の常識だったのでしょう。

現代の人たちが「遺留分が当たり前の常識」と思っているように・・・。

第二次世界大戦の敗戦によって「国が滅びて」、ようやく女性への法的差別は少なくとも表面上は無くなったのですが、もう国が滅びないとするなら、どうすれば国民の常識を変えられるのでしょうか?