第6回―『モノ』を言う‼闘う若手司法書士からの進言―

私の話で申し訳ございませんが、私の両親は共働きで幼い頃は、祖母、祖母の姉に面倒を見てもらって育ちました。いわゆる「おばあちゃん子」でした。祖母の兄妹は、9人。その中でも、私の実家の近所に暮らしていたしていた祖母の姉2人に面倒をよく見てもらいました。1人の祖母の姉は、かつて助産婦(現在は「助産師」と呼ばれてますね。)と、もう一人の祖母の姉は看護婦(現在は「看護師」と呼ばれてますね。)で、2人で助産所を営んでいたそうです。私もその助産所で産まれました。余談ですが、助産所で産まれたので、血液検査をしておらず、高校2年の時、献血をするまで「A型」と周りから言われていたので、私自身も「A型」だと17歳まで思っておりましたが、実は「O型」。早いもので、「O型」として生きる年の方が増し、今では、すっかり「O型」人間になりました。

最近は、核家族、単身の方が多くなったと聴きます。それにより、「おばあちゃんの知恵」や「躾け」を受けず育った方が多いと思います。「これをしたらダメ‼」「なんで、わからないの‼」「ダメって言ってるでしょう‼」と、声を荒げ叱る?怒る?お母さんをスーパーなどでよく見かけます。お母さんのお気持ちは解ります。でも、なぜか、その叱られた子供がかわいそうに思えてくるのです。

私は体育会系のクラブに所属していたので、先輩から、怒鳴られたり、時には反抗したりしましたが、幼い幼少期には、そこまで「キツイ」言葉で叱られたこと記憶がありません。

おそらく祖母や祖母の姉たちは、「躾け」を私にしてくれていたのだと思います。「躾け」には、愛情やその相手の為にする(受け手に敬意を持つ)ことだと思います。

叱られて泣いた記憶はありますが、それは、「叱る」祖母たちの事が怖くて泣いたのではなく、何らかの反省が私の中にあって泣いたように、今では思います。

今回、何が言いたいのか申し上げますと、近くに祖母や祖父が居た方は、「最期を看取る」経験をされていると思います。この経験は、とても大人になる上で重要だと思います。

仏教では、「生きるのではなく、生かされている」との教えがあります。それをまじかに感じる事は、とても大切です。

日本人は仏教徒の方が多いですよね。かつては、葬儀会社から案内が来ると、「不吉なものを送るな!」と投げ返していた記憶があります。それが、今ではテレビCM、新聞雑誌、

広告までも普通に違和感なく流れています。これが時代の流れですかね。

いつの頃からか「終活」という言葉まで誕生しました。「死」に対する日本人のマインドが変化したのでしょう。それとも、「高齢化社会」で需要があるのか。

しかし、日本人のマインドが変わっても相続法のマインド⁉は変わってません。一部の法律専門家や学者の方は、昨年(2019年)の相続法改正を歓迎する方もいらっしゃいます。

「相続法が40年ぶりの大改正」と、雑誌等で言われてますが、根本的なものは何も変わっていないように思います。むしろ、ややこしくした、国(法律)が決めすぎの「おせっかい」な、相変わらずの法改正に思えます。色々な議論はあると思いますが、「配偶者居住権」などは、不動産登記もでき、そこまで法律が口出しをしないといけないのか、と私は思います。日本人のマインドが変わるのと共に、法律も「生きた、活かせる」法律の制定を願いたいものです。