天下の悪法“遺留分”を回避せよ! “How to Avoid Bad Law!”

第5回:「天下の悪法」の具体的影響~その3

本来、「請求権」というものは、その言葉のイメージの通り、誰かが誰かに何かを請求する権利であり、請求したからと言って、相手の意向や客観的な諸事情等が考慮されますから、自動的に請求が認められるというものではありません。

ところが、法律の世界には、請求権とは別物として、「形成権」という言葉があります。

これは、相手の意向や客観的な諸事情等々は一切考慮されず、単に権利者が「こうする」と言っただけで自動的に実現してしまうという、実に強大な権利です。

形成権として代表的なのは、取消権や解除権です。

例えば未成年者が締結してしまった不当な内容の契約を親権者が取り消すとか、契約違反をした相手に対して契約解除を申し入れるとかで、これは未成年者や契約違反された人を法律的に保護するために必要なのかも知れません。

ところが、裁判所は遺留分減殺「請求権」を、新民法制定後、遺留分権利者に有利な判決を繰り返した挙句、遂に判例でもって「形成権」に変えてしまいました。

田和家の事例で言えば、親不孝者の長男が「遺留分減殺だ」と叫んだ瞬間に、何の手続きもなく父の全ての遺産の8分の1は自動的に長男のものになり、しかも全部が他の相続人との共有物になってしまうのです。

そして、その後は遺産の一部は遺留分権利者の完全なる所有物ですから、多額の金銭を積み、頭を下げて買い取らせていただくくらいしか正常化の手段はありません。

孝行息子が親不孝者に頭を下げて頼む、こんなことがあって良いのでしょうか?

民法に少し詳しい人なら、ここで「それなら相続人の廃除制度を使えば?」と言われるかも知れません。

確かに民法にはそのような制度が存在してはいます。

しかし実際には、そこにGHQの影響があるのかは不明ですが、裁判所が廃除を認めることは極めて稀で、例えば「親を殺そうとした」くらいの、新聞ネタになるレベルの大問題がなければ、田和家のバカ長男程度の親不孝では、まず廃除にはならないというのが現状なのです。

2019年7月の民法改正で、遺留分制度は「減殺請求権(当然にモノを取れる)」から「侵害額請求権(請求すればカネを取れる)」となり、多少は現実的な内容に変わりましたが、そもそも「侵害」という言葉を使っている段階で根本的には間違った認識のままであることが分かりますので、まだ判例は出ていないとは言え、おそらく裁判所は遺留分を「形成権」的なものと見ることに変わりないのではないかと思います。

そうしますと、田和家の事例で言えば、長男が次男に対して「遺留分侵害額請求だ」と叫んだ瞬間に、次男には遺産の8分の1相当額となる1500万円の支払義務が生じるという解釈になります。

しかし当然、次男にはそんな多額の現金はありませんし、父から相続する金銭は500万円しかないのですから、残りの1000万円を調達しなければなりません。

その上、来るべき母の相続の際には、さらに1500万円を追加で長男に支払うことになるのですから、もう次男としては、せっかく親子三代で仲良く住んでいる二世帯住宅を泣く泣く手放すか、あるいは父が大切に育ててきた会社を他社にM&Aで売ってしまうかという、母や次男の家族にとっても、会社の従業員たちにとっても、何とも悲しい選択をするしかなくなるのでしょう。

更に更に、長男は請求した段階から権利を持っていますので、次男に対して「遅延損害金」を請求することまで可能なのです。

「笑う相続人」という言葉があるようですが、まさにその通りですね。

世間の大多数の人たちは、自分とは関係ないと考えて、冗談のようにこの言葉を使っているようですが、田和家の次男のように、一生懸命に両親や会社のために尽くした人が、まさに「笑う相続人」である親不孝者の長男に遺産を強奪されて、最後には自宅も会社も手放さなければならなくなるという事実を知った時、本当に笑っていられるのでしょうか?

数年前、「後妻業の女」という小説や映画があったと思います。

これも世間の大多数の人たちにとっては、単に「悪い女が居るものだ」で終わりのようでしたが、あの物語は「財産は誰のもの」というテーマを考えるには適しているのではないかと思います。

もし「財産は子どもたちのもの」と考えるなら、あの後妻さんはとんでもない犯罪者なのかも知れません。

でも実際には「財産は持っている人のもの」なのですから、もし父親が本心から「財産を後妻さんに与えたい」と考えたのであるならば、後妻さんは何ら責められることはなく、むしろ親を大切にしてこなかったにも関わらず、相続の権利だけを振りかざす子どもたちの方に問題があるのではないでしょうか?

次回からは、遺留分制度の歴史から検証し、現在の制度が本当に間違っていないのかについて考えてみたいと思います。

※「返せ~PAY ME BACK」と叫んでいますが、「返せ」と言うからには、元々は自分のものであるというのが前提ですよね。

相続財産は本当に遺留分権利者を含む法定相続人のものなのでしょうか?

しかも、遺留分権利者が存在するということは、財産を元々持っていた被相続人が遺言でもって財産の行方を指定しているということですから、どうして本人が「あげたくない」と思っている人の権利を民法が必要以上に強くするのか、全く理解に苦しみます。

こういった根本的な認識の部分から考え直さなければならない時期に来ているのではないかと私は思っています。