天下の悪法“遺留分”を回避せよ! “How to Avoid Bad Law!”

第2回:「天下の悪法」とは?~その2

遺留分制度とは、仮に遺言で特定の人に財産が渡ったとしても、一定範囲の法定相続人(遺留分権利者)は、自分の法定相続分に対しての一定割合以下しか財産が取得できなかった時には、他の人に対して「足りない分のカネを払え」という権利(遺留分侵害額請求権)を持つとする制度です。

そして、その権利は、遺留分権利者の人格や素行、被相続人との人間関係等々、そして何よりも財産の所有者である被相続人本人の意思という最も重要な事情に全く関係なく、民法という名の法律の力によって一律に認められてしまいます。

つまり、どんな親不孝者であっても、居座り配偶者であっても、あまねく「カネ」を請求することができ、そして訴訟になれば裁判所はほぼ100%、彼らの方を勝たせてしまうのです。

おかしいと思われませんか?

こんな制度が認められているばかりに、日本国中で多くの親孝行者や真面目に離婚と再婚を望んでいる人たちが、如何に理不尽な目に遭っているか、想像してみてください。

まさに「争続」の原因そのものだと思います。

これも「田和家の一族」の中で何度か出てきましたが、遺留分制度を支持する人たちは必ず同じことを言います。

「遺留分は遺族の生活保障のために必要だ。」

これは間違いです。

戦後すぐの貧困な時代ならともかく、この令和の時代に、親の遺産がなければ生活できないような人間、すなわち田和健人のような輩は、自立できないということですから、社会的に欠陥がある人でしかないと評価すべきです。

もちろん、未成年者であるとか、不幸にも心身に障がいのある人であれば生活保障が必要なのかも知れませんが、本来それは国家や行政が福祉政策として行うべきことであり、百歩譲ったとしても個別の案件ごとに裁判所が判断すべき問題で、法律が個々の事情に関係なく強制的に親の財産を直接取り上げてしまうという制度はおかしいのです。

「もし親が全財産を愛人に渡すと遺言したどうするのか?」

何処かの偉い先生の本にでも書いてあるのでしょうか、これも遺留分支持派が必ず言うセリフですが、これも間違いです。

そもそも「愛人に全部渡す」と遺言されるということは、配偶者や子の側に何らかの問題があるのですから、遺産を貰えない人が「自分の胸に手を当てて」反省すべきことだと思いませんか?

「遺産は相続人のもの」という前提で考えている人にとっては、あたかも自分の権利が侵害されたかのように考えるのでしょうけれど、それ自体が大きな間違いなのですから。

「もし一部の子が親を脅かして無理矢理に遺言を書かせたらどうするんだ?」

これもよく聞く陳腐なセリフですが、完全に間違いです。

誰であろうが「脅かして何かをやらせる」というのは犯罪行為なのですから、これは遺言の問題ではなく、刑法の問題であり、もしそれが本当なのだったら、脅かしたという証拠を挙げて裁判をし、遺言無効の判決を取れば済むことです。

「民法の中でも親族法と相続法は強行法規だから仕方がないのだ。」

これも時々耳にしますが、完全な誤解です。

民法という法律は基本的には「任意法規」と言って、国民生活の規範の一種であり、当事者が合意で他の決め事をすることは、賭博などの公序良俗違反になる行為を除き、特に妨げられていませんが、ただ親子関係や夫婦関係を任意法規にする訳にはいかないので、そこは法律通りにしなさいということで「強行法規」の部分があるとされています。

しかし、それは条文の中に「強行法規です」と書いてあるのではなく、あくまでも解釈の問題であって、相続法の全てが強行法規であるとする根拠は何処にも存在していません。

「日本国憲法は平等と公平が原則だから、相続も平等・公平でないといけないだろ?」

これは田和家の一族第17話で白洲次郎が語っていますが、日本国憲法で言う平等・公平とは、性別や家柄、あるいは思想信条などのことを指しており、決して相続人が平等であるとは言っておらず、むしろ私的財産権の保護と幸福追求権を謳っていることから、遺留分制度の方にこそ憲法違反の疑いがあるのです。

そして最後に、根本的に認識が誤っているセリフを紹介します。

「被相続人が自由に処分できる財産の割合は制限されている、だから相続割合は国家が法律で決めるべきなのだ。」

これは田和家の一族第11回で出てきたセリフで、確かにフランスではそのような考え方をしているようなのですが、冷静に考えてみておかしいと思いませんか?

だって自分の財産を自分の意思で全部処分できないなんて、まるで社会主義国家か、独裁者が支配する暗黒帝国みたいではないですか。

これを自由・平等・友愛の精神で革命を実現したフランス国民が支持しているなんて、俄かには信じられないことです。

でも残念ながら、我が国の民事法制度はフランスをお手本にして作られていますので、どうしても法律を学ぶ人たちの頭の中にフランス法の常識が入り込んでしまっているのではないかと思います。

しかし、時代も変わり国民の意識や知的レベルも大きく変わっているのです。

本当に「法律家」と名乗る人であれば、権威のある本を読んだり偉い先生のお説を拝聴するのも結構ですが、それらを何の疑問もなく鵜呑みにして信じ込むのではなく、もっと自分の頭で物事の本質を考えていただきたいものだと思えてなりません。

次回は、具体例を挙げて問題点を考えてみたいと思います。

※「おもろうて やがて悲しき 鵜舟かな」松尾芭蕉の有名な一句です。

下記のサイトによりますと、この句の意味として「鵜が鮎を捕獲する様子は、大きな生き物が小さな魚を闇雲に飲み込んでいるに過ぎません。ただ黙々と鵜匠の指示に従い、殺生を繰り返す鵜たちの哀れな様子も盛り込まれています。」としています。

鵜が自分の頭では何も考えようとしない法律家、鮎が哀れな国民とするなら、鵜を操る鵜匠は何者なのでしょうね??

https://haiku-textbook.com/omoshiroute/