~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族
第20回
エピソード7 ~1965年アメリカ:Loving Trust編~その2
ノーマン・デイシーは、とても上品な感じの紳士であった。
「ロースクールの学生さんが私に会いに来られるとは意外です。教官の先生方は私の著書を批判しているのでしょう?」
法男が話す。
「その通りです。しかし私はデイシーさんの著書に書かれている生前信託(Living Trust)という言葉に、何だか無限の可能性を秘めた大きな未来を感じたのです。」
「私は弁護士ではないのですが、宜しいのですか?」
「もちろんです。法律は一部の法律家のためにあるのではなく、国民全員のためにあるのですから、誰が述べようと正しいことは正しいのです。」
「さすが、やはり若い人は頭が柔らかい。ではお話しましょう。私は不動産のプランナーを本業としておりまして、以前から不動産の相続の際に裁判所と弁護士に支払うProbate費用が異様に高いと思っておりました。」
「確かに、一部の法律家の利権みたいになっていますよね。」
「そこで私は英国の信託の歴史から勉強して、信託をしておけば信託財産は他の法律の規制を受けませんから相続財産とはならず、国民が自らの意思でもって信託財産の行く末を決めることができるようになる、すなわちこれでProbateを回避することができると考えたのです。」
「それがLiving Trustですね。」
「そうです。自分自身が元気な間に、自分の財産が将来どうあるべきかをプランニングして、それぞれの財産を所有権財産から“信託財産”に変換しておくのがLiving Trustですから、金融的な信託とは違って家族や知人を受託者にしてもいいですし、自分自身が受託者も兼ねる自己信託という方法も有り得るのです。」
「しかし、法律家の世界からの批判が強いようですが、何か対策をお持ちなのですか?」
「よく聞いてくださった。国民不在で頭の固い法律家と正面から議論しても無意味なので、私はマスコミの力を借りようと思っています。いくら一部の法律家が反対しようが、仮に私個人をいくら訴訟に掛けようが、アメリカ国民の大多数が受け入れれば、コモン・ロー(common law=慣習重視の法体系)社会であるアメリカにおいて、それは正しいと認められることになります。そこで一般人にとっては難しいイメージのある信託を受け入れやすくするため、Living Trustという言葉を少し変えてPRしてみようと考えているのです。」
「少し変えるとは?」
「信託で重要なのは“愛と正義”ということで、新しい名称はLoving Trust(親愛信託)なんですよ!」
その後、Loving Trustは全米で広く普及することになり、現在では大多数のアメリカ国民が普通に生前信託を利用し、今や弁護士も信託の組成に協力する時代となっているが、それまでには数十年の歳月を要している。
健人が言う
「さて、俺の家に行くか。ところでハルーナとはどうなってる?」
「よく知ってるな。ハルーナとは来週結婚式場の下見に行くよ。」
「もう、勝手にせい。」
健人が法男を伴って自分の家に帰宅してみると、両親も弟の圭司も、ニューヨーク市民である。
健人は、この頃では思考が正常化してきていて、今回は圭司に突っかかるネタがないが、とりあえず毒づいてみる。
「我が国では将来、Loving Trustというものが普及すると思われるのだが、我が家の財産は長男の俺が全部貰うから、父さん母さんがLoving Trustの契約をする時は、お前は遠慮するのだぞ。」
「でも、財産は父さんと母さんのものなんだから、俺たちが決めることじゃあないだろ?」
「うるさい!ではLoving Trustの受託者には俺がなるぞ。そうすると財産の名義は俺に変わるから、実質的に俺のものになるということでいいよな。」
法男が口を挟む。
「おいおい、信託しても名義が変わるだけで、受託者のものになるんじゃないぞ。さっき教わっただろ?」
「うるさい、信託ってのは何だか難しそうだから、父さん母さんが気付かないように上手いこと契約書を作っちゃえばいいんだろ。」
「そんな無茶な。お前、Loving Trustって言ってるくせに、愛が全然ないよな。」
そんな忠告は無視である。
「こら圭史、とにかく何でもかんでも長男の俺の言うとおりにするんだぞ!!」
「そんなこと言われても、両親の世話をしてるのは俺の家族だし。」
「次男は黙れ!!」
健人が圭司の胸倉に掴みかかろうとするところを、心優しい法男が止めに入ったその時、反対方向を向いていた母の景美子が振り返りざま、健人に向けて大声で怒鳴った。
「このタワケが!!」
その瞬間、真っ赤な閃光があたりを包み込み、世界の全てがストップしたかのように見えた・・・。
(つづく)
用語の解説(詳しくは世界史の教科書やWikipedia等で!)
・Loving Trust
生前信託(Living Trust)を普及させるために造り出された造語。
本稿ではノーマン・デイシーが考案したことになっているが、実際には少し後の世の人物が考案したらしい。
この造語がマスコミなどを通してアメリカ国民に浸透してゆくことによって、法律家業界からのノーマン・デイシーに対する批判は薄れてきたと言われている。
言葉の力、マスコミの力は、素晴らしくもあり恐ろしくもあるということだ。
※本稿の中の歴史的事実の記載については、全くの間違いではないらしいとは言え、かなり適当に盛っておりますので、その点は悪しからずご了承願います。