~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族
第18回
エピソード6 ~昭和22年(1947年):新民法制定編~その4
四宮はゆっくりと話し始める。
「私は東京大学の四宮和夫と申します。我妻教授の教え子として、白洲さんの本日のお話を末席で拝聴しておりましたが、まさしくその通りと痛く感服いたしました。このままの内容で民法が改正されてしまうと、いずれ多くの国民が困ることになるでしょう。」
白洲が問いかける。
「四宮さん、何か良い手段はありますでしょうか?」
「実は、私は信託法を研究しておりまして、個人間の信託を使えば無為な相続による財産の散逸は防げるのではないかと考えております。」
白洲が答える。
「それは素晴らしい! 学者さんの中にも柔軟な発想を持った方がおられると知って、大変に心強く思います。」
「しかし、現在の我が国の信託法は、制定の経緯から、信託会社を規制する目的が中心で、国民側の視点で作られてはおりませんし、まだまだ頭の固い学者が多いですから、アメリカやイギリスのように国民が個人間で自由に信託制度を活用できる社会になるまでには、相当な時間がかかるでしょう。」
「私も、おそらく70年くらいはかかると思っています。」
「個人間の信託には、何よりも“愛と誠実”が必要であり、私はこれを“親愛信託”と名付けるべきと秘かに考えているのですが、70年後にはそれを実現してくれる人が出てくるものと信じております。」
四宮の言葉に皆が感服する。
そして最後に白洲が改めて言う。
「いずれにしても田分けはダメなんです。」
田分けという白洲の言葉に反応して、赤い光をチラっと見た健人がクラクラしているうちに法男が言う。
「じゃぁ、お前の家に行くとするか。」
パターンが分かってきたのだろうか。
健人もパターン通り、法男に尋ねる。
「彼女はどうなった?」
「あぁ、春奈とは来年結婚だよ。」
「なんでそうなるの??」
健人が法男を伴って自分の家に帰宅してみると、両親も弟の圭司も、普通に戦後の東京都民である。
まるで条件反射のように、健人は圭司に向って毒づく。
思考の正常化はまだのようだ。
「近々に民法改正があって、俺は長男なのにお前と同じだけしか遺産が貰えなくなるみたいだ。だから俺は今日からもう、両親の世話も何もかも、お前にやらせて自由に生きてゆくからな、後は頼んだぞ。」
「父さんは遺言を書くと言ってるよ。」
「そんなものは関係ねぇんだ。遺留分っていう制度はちゃんと残るしな。お前を裁判にかけてやるだけのことよ。」
「兄弟で裁判なんて、そんなことやめようよ。」
「では、両親が生きているうちに生前贈与で俺に名義を変えるか、長男の俺に遺産は全部やるという遺言を書いてもらえ。あと新民法の何処に書いているのか知らないが、遺留分の放棄をしろ。」
健人が圭司の胸倉に掴みかかろうとするところを、心優しい法男が止めに入ったその時、反対方向を向いていた母の景美子が振り返りざま、健人に向けて大声で怒鳴った。
「このタワケが!!」
その瞬間、真っ赤な閃光があたりを包み込み、世界の全てがストップしたかのように見えた・・・。
(つづく)
用語の解説(詳しくは日本史の教科書やWikipedia等で!)
・四宮和夫(1914~1988)
信託法研究の第一人者。
我妻榮のもとで民法を学んだが、「歩く通説」とまで言われ称賛された我妻説に対して反発することが多く、「歩く反対説」と一部では呼ばれていたが、四宮の指摘によって論点が明確にされたことも多く、特に現在の信託法には四宮説の影響があると考えられている。
「信託には無限の可能性があり、それを制限するものがあるとすると、それは専門家の想像力の欠如である」「信託は水の上に浮かぶ油のようなもの」など、数々の名言を残した。
※本稿の中の歴史的事実の記載については、全くの間違いではないらしいとは言え、かなり適当に盛っておりますので、その点は悪しからずご了承願います。