~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族

第15回

エピソード6 ~昭和22年(1947年):新民法制定編~その1

健人は、母に一喝された瞬間、真っ赤な閃光に目が眩まされ、気が付くと体が高速エレベーターに乗せられていたが、またまた上昇してゆく感覚があった。

外は変わらず、淡いモノクロームのような世界である。

そして、上昇が止まったと思ったら、今度はエレベーターの横移動はなく、そのまま地面に落とされたような気がする。

「健人、大丈夫か!」

「おぅ!」

健人はもう細かいことは聞かず、法男も即答する。

「昭和22年5月だよ。」

「昭和? ってことは、まだ日本なのか?」

エレベーターは約70年分くらい上昇し、今度は同じ東京にいるらしい。

「で、俺たちはどんな身分だっけ?」

「俺もお前も司法省民事局所属の下級役人だよ。」

「民事局? ってことは、もしかして民法改正に関係ある?」

健人は、すっかりタイムスリップのパターンが分かってきたようだ。

「そうだよ、今から来年1月施行予定の新民法の内容に関する法制調査会に出席だよ。」

「では、今は応急措置法の時代か。」

応急措置法とは、昭和22年5月3日の日本国憲法の施行に、全面的な民法改正が間に合わなかったので、とりあえず「家制度の廃止」などを盛り込んだ仮の法律のことを指し、翌年1月の新民法施行に向けて、法案の内容を完成させなければならない時期であった。

「で、俺はどうして倒れてた?」

「歩いてて、急にこけたんだよ。」

「今回は違うパターンか・・・。」

「パターン??」

 

昭和22年5月司法省法制調査会のある建物前

健人が法男に言う。

「何だか建物の前に女性が沢山集まってるけど、何かあるのかい?」

「今日の調査会には、あの白洲次郎(しらすじろう)さんが政府参与として見えられるので、ファンの女の子たちじゃないかな。」

「白洲次郎!!」

白洲次郎はイギリス留学の後、吉田茂の側近として活躍し、第二次世界大戦の終戦処理ではGHQと英語で渡り合い、「従順ならざる唯一の日本人」とまで呼ばれた、当時のスーパースターである。

健人は、反対側に黒い集団が居ることにも気付く。

「何だか学生みたいな男連中も集まってるな。」

「あの我妻榮(わがつまさかえ)教授も見えられるとのことだから。」

「我妻榮!!」

我妻榮は、わが国で最も高名な民法学者であり、新民法制定にも深く関わり、「我妻民法」とも呼ばれる、我が国独自の民法体系を作り上げた、法学関係者の間では知らぬ人が居ない程の存在である。

「今日の協議事項は、遺留分制度をどうするかなんだ。俺には難しいことはよく分からないんだけど、遺留分制度存続論と廃止論で真っ二つに割れてるらしい。」

「そうか、新民法制定時に遺留分廃止論はあったのだな。」

「我妻教授はじめ法学者の大半は遺留分存続論者みたいなんだが、そこに白洲次郎さんが乗り込んで廃止論を語るそうだ。」

確かに、応急措置法では、明治民法の規定が、一部を除いてそのまま残されているので、新民法施行までには確定しなければならないのである。

(つづく)

 

用語の解説(詳しくは日本史の教科書やWikipedia等で!)

 

・白洲次郎(1902~1985)

若き日はイギリスに留学し、第二次世界大戦後は吉田茂の下でGHQとの交渉にあたり、日本国憲法の成立にも寄与した。我が国で初めてジーパンを履いた人物でもある。

 

・我妻榮(1897~1973)

東京大学名誉教授で、日本国憲法施行に伴う民法改正作業に大きく関わった。法学者の間では「歩く通説」とまで言われたカリスマ民法学者。

 

※本稿の中の歴史的事実の記載については、全くの間違いではないらしいとは言え、かなり適当に盛っておりますので、その点は悪しからずご了承願います。