~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族

第14回

エピソード5 ~明治13年(1880年):家督相続編~その2

ボアソナード教授が言う。

「それは相続制度であります。我が祖国フランスでは、ナポレオン民法典以来、均分相続を推し進めて参りましたが、その結果が甚だ宜しくない。また日本国でも鎌倉時代や江戸時代初期には、田分けと呼ばれる均分相続制度が存在し、確か鎌倉幕府滅亡の原因の一つになったとも聞いております。」

健人は、教授の言葉にいちいち頷きながら聞き入っている。

田分けという言葉が出た時には少し周囲が赤くなったが。

司法卿が聞く。

「それでは、どのような制度にすれば宜しいのか?」

司法卿の問いに、ボアソナード教授は満を持したかのように答える。

「日本国の美しき慣習である家督相続と隠居とを制度化するのです。戸主は歳を取ったら隠居して、最も信頼できる後継ぎ一人に財産を生前相続させる、そして後継ぎは家督相続人として、他の家族全員を責任を持って扶養する、これが現代の日本国にとって最も相応しい制度であると私は確信しております。」

「さすが、教授は日本人以上に我が国を思っておられるようだ。それでは、フランス民法典を、そのように修正しましょう。やはり田分けは良くない。」

健人は、また少し赤い光を見たが、ボアソナード教授の見識には驚くばかりであった。

そして司法卿が言う。

「では、会議はこのへんにして、さぁさぁ芸者衆、全員ボアソナード教授のそばに。」

司法卿がパンパンと手を叩くと、新橋の芸者衆がゾロゾロと入ってきた。

「あ~らボアちゃ~ん、お見限り~。何処で浮気してたの~。」

教授は、これまでの厳しい表情が一変して、実に熟年男性らしい満面の笑顔になって言う。

「今からは大人の時間で~す。学生さんたちは帰って帰って。Je veux que tu rentres chez toi!」

この後の教授と司法卿の私的な行動の内容も気にはなったが、健人は明治民法制定の経緯について納得できた。

ふと気が付くと、法男がこの店の家族らしい一人の若い女性と親しく話しているが、女性は後ろを向いているので、顔は分からない。

後で健人が法男に尋ねてみると、予想通りの答えが返ってきた。

「あの子とはもう深い関係なんだ。」

「もしかして、名前は春奈?」

「どうして知ってるんだ!!」

「まぁいい。では俺の家まで付き合ってくれるよな。」

健人が法男を伴って自分の家に帰宅してみると、両親も弟の圭司も、普通に明治の東京市民である。

いつもの通り、微妙に内容は違うが、健人は圭司に向って毒づく。

これまで健人はいろいろ経験してきて、思考が正常化しているように見えるが、家族の前に出ると元の健人の性格に戻ってしまうらしい。

「いよいよ我が国にも民法と言う法律が制定されて、長男の俺は家督相続人としてこの家の財産の全てを貰うことになるんだぞ。」

「そうなったら、兄さんが俺たち一家を食わせてくれるんだろ?」

「バカを言え! 俺が戸主になるんだから、お前らが素直に言うことを聞いている間は世話してやるが、もし俺に少しでも逆らうようなことがあったら直ちに離縁するから家を出て行ってもらうぞ。」

法男が口を挟む。

「おい健人、再閲民法草案に弟の離縁なんてあったっけ?」

「うるさい、これから作る民法なんだから、俺がボアソナード教授に頼んで条文を入れて貰えばいいんだ。」

「そんな無茶な。」

「こら圭史、とにかく今日からは何でもかんでも俺の言うとおりにするんだぞ!!」

「そんなこと言われても、両親の世話をしてるのは俺の家族だし。」

「家督を継がない者は黙れ!!」

健人が圭司の胸倉に掴みかかろうとするところを、心優しい法男が止めに入ったその時、反対方向を向いていた母の景美子が振り返りざま、健人に向けて大声で怒鳴った。

「このタワケが!!」

その瞬間、真っ赤な閃光があたりを包み込み、世界の全てがストップしたかのように見えた・・・。

(つづく)

 

用語の解説(詳しくは日本史の教科書やWikipedia等で!)

・家督相続と隠居

明治民法では、特定の家督相続人以外の者が財産を相続することは前提とされておらず、かつ隠居制度が存在し、生前相続が認められていた。

また明治38年(1905年)までは相続税が存在せず、その後も税率が1.2%(家督相続人以外は1.5%=2割加算)と低率であったので、生前相続が一般的であったらしい。

 

※本稿の中の歴史的事実の記載については、全くの間違いではないらしいとは言え、かなり適当に盛っておりますので、その点は悪しからずご了承願います。