~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族
第13回
エピソード5 ~明治13年(1880年):家督相続編~その1
健人は、母に一喝された瞬間、真っ赤な閃光に目が眩まされ、気が付くと体が高速エレベーターに乗せられていたが、またまた上昇してゆく感覚があった。
やや明るいカラーのある世界から、再び淡いモノクロのような世界に変わっているようである。
そして、上昇が止まったと思ったら、今度は前回とは反対方向にエレベーターが大きく移動し、最後に地面に落とされたような気がする。
「健人、大丈夫か!」
「おぅ、法男か。今度は何処だ?」
健人はもう、タイムスリップはお手のものである。
「明治13年1月だよ。」
「明治? ってことは、日本に帰ってきたのか。」
エレベーターは約75年分くらい上昇し、今度はパリから東京に横移動したらしい。
「で、俺たちはどんな身分だっけ?」
「俺もお前も司法省法学校の学生だよ。」
「司法省法学校? ってことは東京大学法学部の前身か。本当なら絶対入れないな。」
「本当ならって、俺たち入ってるぜ。」
「そうだ、もしかして明治民法に関係ある?」
「そうさ、俺たちはボアソナード先生のゼミで学んでるんだぜ。」
フランス出身の法学者、ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ド・フォンタラビーは、「日本近代法の父」と呼ばれた偉人で、当時の司法卿(現代なら法務大臣)であった大木喬任(おおきたかとう)と共に、明治民法制定に深く関わっている。
「で、俺はどうして倒れてた?」
「法学校の屋根の修繕をしてて、足場から落ちてきたんだよ。」
「そうか、やっぱり普請かぁ・・。」
「普請??」
東京新橋の料亭「みずこし」の座敷
ボアソナード教授と大木喬任司法卿の、明治民法を作り上げるために書かれようとしている「再閲民法草案(さいえつみんぽうそうあん)」の制作に関するミーティング会場でもある。
ゼミの学生である健人と法男も末席に加わっている。
大木司法卿が言う。
「ボアソナード教授に翻訳していただいたフランス民法の内容は実に素晴らしいので、これを我が国の民法の基本としたいと私は考えております。」
ボアソナード教授は答える。
「ただ、私といたしましては、フランス民法をそのまま直訳して使用するのではなく、やはり日本国の歴史や現状を十分に踏まえた上で検討する必要があると考えるものであります。」
「しかし、旧幕府が締結した欧米列強との不平等条約撤回の条件の一つに民法の制定がありますので、我が先達であり、また私と同じ佐賀藩士でもあられた江藤新平初代司法卿が、フランス民法を早急に翻訳して導入せよと命じられてから間もなく10年、そろそろ草案を仕上げなくては。」
「それでは、日本国には相応しくないと思われる部分のみを修正するということで如何でしょうか?」
「相応しくない部分とは?」
その時、ボアソナード教授の目がキラリと光ったことに、健人と法男は気付いていた。
(つづく)
用語の解説(詳しくは日本史の教科書やWikipedia等で!)
・ボアソナード教授(Gustave Émile Boissonade de Fontarabie1825~1910)
明治6年(1873年)、政府の招きでフランスから来日、司法省法学校(後の東京大学法学部法政大学)、東京法学校(後の法政大学)などで教鞭を取ると共に、民法や刑法の制定に深く関わった。拷問廃止を提言したことでも有名。
・大木喬任(1832~1899)
旧佐賀藩士で、江藤新平らと共に明治維新に参加、東京都知事、文部卿などを経て司法卿に。戸籍法、民法などの制定に関わる。
・江藤新平(1834~1874)
旧佐賀藩士で、明治維新の中心的人物の一人であり、初代司法卿としてフランスの法制度を積極的に取り入れようとしたが、明治6年(1873年)に大久保利通らとの意見の相違から下野、翌年に旧士族と共に「佐賀の乱」を起こし、敗れて処刑される。
※本稿の中の歴史的事実の記載については、全くの間違いではないらしいとは言え、かなり適当に盛っておりますので、その点は悪しからずご了承願います。
※「再閲民法草案」は何故かオークションで数百万円の値が付いて売りに出されています。
誰が買うのでしょうね??