~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族

第8回

エピソード3 ~南北朝時代:建武の新政編~その1

健人は、母に一喝された瞬間、真っ赤な閃光に目が眩まされ、気が付くと体が高速エレベーターに乗せられていたが、今度は上昇してゆく感覚があった。

景色が淡いモノクロームのような世界であることには変わりなかった。

そして、すぐに上昇が止まったと思ったら、今度は横に少しだけエレベーターが移動し、最後に地面に落とされたような気がする。

「健人、大丈夫か!」

「おぅ、法男か。」

健人はタイムスリップにも少し慣れてきたようだ。

「ここは何処だ?」

「京の都だよ。」

「時代は?」

「時代って?今は元弘3年(1333年)、後醍醐(ごだいご)天皇様がご復位なされたばかりだよ。」

エレベーターは約50年分だけ上昇し、鎌倉から京都までの距離だけ横に動いたようだ。

「ということは、鎌倉幕府は滅亡?」

「そうだよ。鎌倉幕府は御成敗式目の制定以来、御家人が徐々に力を失って、とうとう滅ぼされてしまったんだよ。」

「で、俺たちはどんな身分なんだ?」

「変なことを聞くなぁ。俺もお前も、天皇様の下で働く貧乏公家じゃないか。」

「で、俺はどうして倒れてた?」

「天皇様の新しいお屋敷の普請をしてて、足場から落ちてきたんだよ。」

「そうか、貧乏公家は普請のアルバイトかぁ・・。」

「あるばいと??」

 

夏の京・富小路坂内裏(とみのこうじざかだいり)の大広間

後醍醐天皇からの重大発表があるとのことで、公家一同が集まっている。

健人は小声で法男に聞いている。

「ところで、天皇様は何を発表されるんだい?」

「噂ではな、鎌倉武士の領地を全部没収して、我々に分けてくれるという法律を公布するらしいよ。」

つい先ほどまで鎌倉武士であったような気がする健人は、大変複雑な心境である。

「とうとう、前に平頼綱執事が言われてたように、お国が覆ったのか・・・。」

御成敗式目制定から約100年、優しい法律であった筈の相続制度が、結局は国を滅ぼしてしまったようだ。

健人は法男に聞く。

「天皇様は本当に俺たちに武士の領地をくれるのかな?」

「天皇様は親政を開始されたのだから、もう武士の世の中ではなくて、俺たち公家が主役の世の中になるんだよ。」

「でも足利尊氏(あしかがたかうじ)とか新田義貞(にったよしさだ)とかが文句を言わないのかい?」

「そんなことは分からんけど。」

その時、厳かに雅楽の音色が流れ始める。

「あっ、天皇様だ。」

時のスーパーヒーロー、後醍醐天皇が、雅楽の音色と共に、二人からは遥かに遠い上座に姿を現した。

「この度、朝敵所領没収令を出させてもらいますよってに、土地は全部国が没収して、あとのことは朝廷が決めることにしますえ。よろしおすな。ご苦労はんどした。以上どす。解散。」

再び流れ出した厳かな雅楽の音色と共に、天皇はさっさと退場してしまった。

武士の領地を自分たちが貰えると期待していた公家たちは、領地が貰えないと知って、大ブーイングである。

天皇が立ち去った後、内大臣である吉田定房(よしださだふさ)に皆が詰め寄っている。

「何とかならんのですか!」

「陛下が決められたことじゃから、仕方なかろうて。恨むなら鎌倉幕府を恨め。」

(つづく)

 

用語の解説(詳しくは日本史の教科書やWikipedia等で!)

後醍醐天皇(1288~1339)

第96代天皇であり、南朝初代天皇でもある

鎌倉幕府を滅ぼし、「建武の新政」と呼ばれる天皇親政を敷いた、当代の大ヒーローだが、南北朝という前代未聞の皇室が二つ存在するという時代を作ってしまった。

 

吉田定房(1274~1338)

建武の新政時代の内大臣で、後醍醐天皇の重臣の一人。

 

足利尊氏(1305~1358)

室町幕府初代征夷大将軍

後醍醐天皇と共に鎌倉幕府を倒すが、その後は袂を分かち、約60年にわたる南北朝時代を作り出す原因となった人物。

 

新田義貞(1301~1338)

足利尊氏と共に後醍醐天皇を助けて建武の新政を実現するが、その後は尊氏と袂を分かち、南朝方の総大将として激しく戦うことになる。

 

※本稿の中の歴史的事実の記載については、全くの間違いではないらしいとは言え、かなり適当に盛っておりますので、その点は悪しからずご了承願います。