~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族

第6回

エピソード2 ~鎌倉時代:御成敗式目編~その2

弘安4年(1281年)秋の鎌倉鶴岡・北条執権亭の大広間

御家人が大勢集まっている中、健人は小声で法男に聞いている。

「ところで、今の法律制度はどうなっているんだい?」

すっかり鎌倉人が板に付いている法男が答える。

「今から50年程前に、時の執権の北条泰時(ほうじょうやすとき)公が御成敗式目っていう51ヶ条の法律を作ってな、今はその制度に従っているな。」

「その御成敗式目って、違反したら成敗されそうで、何だか怖そうなネーミングだな。」

「ねーみんぐ?? 成敗っていうのは、本来は裁決するという意味だから、要するに揉め事に対する裁判の規範として国が決めた法律というところかな。」

「で、どんな法律なんだね?」

「それがとても面白い法律でな、人の悪口を言うな、みたいな条項もあるんだぜ。」

「何だか子供会の決め事みたいだな。」

「まぁ、全体を一言で言うと、弱者に優しい法律ってとこだな。特に当主が亡くなったり隠居した時には、女性も含めて家族全員で財産を仲良く分け合って相続するというのが大きな特徴なんだ。」

健人の心の声「女性も相続できるなんて、現代日本の平等で公平な相続制度は、フランス革命が最初かと思っていたが、この時代に既に始まっていたのか。」

さらに法男は続ける。

「最近知り合った水越家の春奈姫なんて、俺の5倍くらい所領を持ってるんだって。ちょっと気が強いのが玉に瑕なんだけど、いい女なんだ。」

健人の心の声「それにしても、水越家の春奈姫って、何処かで聞いたような・・・。」

法男は言う。

「ただな、御成敗式目制定から50年が過ぎて、蒲池家にも三世代くらいの相続があったから、当主である今の俺の所領は50年前の10分の1くらいになっちゃったんだよ。」

「当主の所領が10分の1に? それは問題だな。」

「お前の家は子供が多いから、おそらく30分の1くらいになってるんじゃないの。」

その時、大きな音で太鼓が打ち鳴らされた。

「おっ、執権様だ。」

時の執権で、蒙古を打ち破った若き英雄・北条時宗(ほうじょうときむね)が、勇壮な太鼓の音と共に、二人からは遥かに遠い上座に姿を現した。

「この度の皆の活躍、大変目覚ましいものであった。本来であれば恩賞として所領を与えるべきところであるが、相手が蒙古だったため、残念ながら幕府の所領は増えていないので、皆に所領を与えることができぬが許せ。ご苦労さん。以上である。解散。」

時宗は再び鳴り響く太鼓の音と共に、さっさと退場していった。

元々、所領が細分化されて生活に困っている御家人たちは、新しい所領が貰えないと知って、大ブーイングである。

執権が立ち去った後、御内人(執権の従者)の筆頭で、時宗の執事でもある平頼綱(たいらのよりつな)に皆が詰め寄っている。

「何とかならんのですか!」

「ないものはないんじゃから、仕方なかろうて。恨むなら蒙古と御成敗式目を恨め。」

(つづく)

 

用語の解説(詳しくは日本史の教科書やWikipedia等で!)

・御成敗式目

1232年(貞永元年)に制定された、武士政権のための法律

聖徳太子の十七条憲法、明治の大日本国憲法と並ぶ、我が国の法律界の大変革である。

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/goseibaishikimoku/index.html

(御成敗式目全文が掲載されているサイトです)

 

・北条泰時(1183~1242)

鎌倉幕府第3代執権

御成敗式目を制定するなどの功績で、北条家中興の祖と呼ばれる。

 

・北条時宗(1251~1284)

18歳で鎌倉幕府第8代執権に就任

二度の元寇を撃退した鎌倉の英雄で、大河ドラマにもなった。

 

・平頼綱(1242頃~1293)

北条氏得宗家の御内人で、北条時宗の執事を務めた重臣。

 

・大河ドラマ「北条時宗」

2001年に放送された第40作目の大河ドラマ。

主人公の時宗を狂言師の和泉元彌さん、平頼綱を北村一輝さんが演じた。

※本稿の中の歴史的事実の記載については、全くの間違いではないらしいとは言え、かなり適当に盛っておりますので、その点は悪しからずご了承願います。