~歴史体験ファンタジー~ 田和家の一族

第1回から第4回の総括

さて、連載小説も第4回まで進み、登場人物も出揃ったところで、典型的な親不孝者の田和健人は、母親に「このタワケが!!」と罵られましたね。

田分けとは、鎌倉時代から使われている言葉で、まさに文字通り「田を分けてしまう」ことを言います。

私は、今の我が国の「法定相続」と言われる相続制度が、まさに「田分け」の典型だと思っています。

親の財産を子どもたち皆で分ける、一見すると平等で公平な制度のように見えます。

しかし、この「田分け」制度を取り入れた現行民法が制定された昭和22年(1947年)以来、果たして我が国の財産承継は円滑かつ適正に進められているでしょうか?

約70年で、不動産の相当数が複数の相続人による共有になって、とても使い難くなりました。

中小企業の株式が、意味なく多くの親族に分散してしまっているケースも少なくありません。

特に権利意識が高まり、マスコミで一方的な法律情報が流されるようになった現代、親の財産形成に何も貢献していないばかりか、親の世話という義務すら果たそうとしない親不孝者、まさに田和健人のような人物が、自分の権利を振りかざして相続財産を奪い取りに来る、いわゆる「争続」の問題が多発しています。

今の制度では、親の世話とか親の事業の手伝いのような面倒なことをしなくても、他の相続人と全く同じ権利が当然に認められるのですから、まさに「正直者が馬鹿を見る」という結果になってしまうのです。

このように、現行民法で導入された法定相続制度が「田分け」を生んでしまいましたが、その民法の中でも特にいけないのが「遺留分制度」だと思います。

現行民法でも、遺言があれば一応は遺言通りに遺産が分けられることになります。

しかし、その遺言で法定相続分(国が勝手に決めた割合)の半分以下しか遺産が貰えなかった子や配偶者は、他の相続人に対して「差額を返せ」と言える権利が認められており、それを遺留分と言います。

遺留分は「遺産の中で留保される分」という意味ですが、どうして亡くなった人の財産なのに、その亡くなった人の思い通りに相続させてはいけないのでしょうか?

おそらく、国民の大多数は、このような制度が存在していること自体をご存知なく、いざ「争続」となった時に、その絶大な効力に驚くことになります。

だって、裁判になれば、その親不孝者の方に正当な「権利」があるのですから、ほぼ例外なく親孝行した者の方が負けてしまうのですから。

また、本当に不思議なのが、本来は問題提起しなければならない筈の法律専門家、すなわち学者や法曹と呼ばれる方々、さらに現場で法律を扱っている国家資格者が、ほぼ誰一人として「遺留分はおかしいのでは?」と声に出して言うことはなく、あたかもこの問題には触れてはいけない「法律界のタブー」みたいになっているということです。

私は、この連載小説という形を借りて、どうして我が国の民法がそのような「田分け」の制度になってしまったのか、歴史を振り返りながら考えてみたいと思っています。

最後までお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。