しらしんけん/何日君再来

~一途な愛と変わらぬ情熱の物語~ 最終回

エピローグ

双葉梓の提案は、本多拓斗と蛯沢映子が非常に積極的に賛成し、2年後の本多の退職を待つことなく、すぐに実行される次第となった。

その結果、エビサワオート株式会社の株式は全て、一般社団法人エビサワマニアに売却されて完全子会社となり、どちらの蛯沢家のものでも本多のものでもなくなった。

いわば、これまでは株主が支配権を握っていた“王国経営”だった状態から脱却し、一般社団法人という誰のものでもない法人が民主的に経営する、いわば“共和国経営”となったのである。

その頃、蛯沢一族にとって嬉しいニュースがあった。

蛯沢愛子が、冗談半分で応募した“ミセス・ビューティ世界選手権”の50歳代部門の九州予選と日本大会とで優勝し、シンガポールで開催される世界大会に進出することが決まったのである。

蛯沢省吾は、水着審査などもあるということで、最初は愛子の出場に難色を示していたが、九州予選を突破したあたりから、突然社交的になって、美しい妻の今の写真とレースクイーン時代の写真とを持って、“全然変わらないだろう”などと言っては自慢して回るようになったのだ。

最初は小料理屋の客と一緒に醒めた目で見てキングとクイーンの悪口を言っていた蛯沢充子でさえ、愛子の世界大会進出という快挙には、心から拍手を送るしかなくなってくるのである。

蛯沢啓太と渋谷真琴のカップルも、吾郎という可愛い養子を得て、普通の三人家族のように、それぞれを尊重して仲良く暮らしている。

蛯沢純治と鈴華の夫婦も、可愛い一人娘のカナの成長を楽しみに、幸せな日々を過ごしている。

誰もが幸せになって、双葉梓の当面の出番はなくなったが、それこそが双葉の望む理想の状態なのである。

蛯沢正泰の入社から半年、香織がE社の専務取締役となってから丁度3年が過ぎた頃、香織の夫の中岡武司が、数ヶ月後に北京の大使館からベトナムのハノイの大使館に転勤することが決まったとの報せが入る。

もちろん役職が上がる栄転であり、武司は着々と出世の道を歩んでいるようだ。

「そろそろ帰っていいかな?」

香織の言葉に、省吾は言う。

「せやな、そろそろ帰っちゃりよ。もう会社は大丈夫やろうけん。」

「ありがとう。少しは北京での暮らしもしておきたかったから。」

思えば、最初の2年間の香織は、“帰りたい”と思うばかりで、結局は何も行動を起こせない日々だったが、後の1年間は本当に様々な事があり、香織自身がそれらに“しらしんけん”立ち向かって解決に導いてきたっちゅう、とても充実した日々であったと感じていた。

もちろん、周囲の人たちに対する感謝の念も忘れることはできない。

特に愛子に対しては、最初のマイナスの感情が今や180度転換しているのだ。

E社を離れるにあたり、香織は高性能の映像転送システムを導入した。

これで本社と九重工場とは完全に繋がることになるし、自分が帰国した後も必要になれば北京からでもハノイからでも国際通信で相談を受けることが可能になり、さらに啓太も純治にリモートでアドバイスなどができるようになるのだ。

九重工場の三人の中国人技術者も、これで“愛子大姐”、いや今はミセス・ビューティ世界選手権ファイナリストである“美巫师愛子(Měi wūshī àizi =美魔女愛子)”の顔をいつでも見られるようになってご機嫌である。

そしていよいよ、香織が北京に帰る日の前夜、別れを惜しむ人たちが集まっている。

香織は、省吾が最近まで使っていた携帯電話の着信音を思い出した。

“何日君再来”の原語バージョンに、こんな歌詞がある。

來、來、來(Lái, lái, lái)              さあ、さあ、さあ、
再敬你一杯(Zài jìng nǐ yībēi)         一杯差し上げましょう。

停唱陽關疊(Tíng chàng yáng guān dié) 陽関三畳(別れの詞)を歌うのはやめて、
重擎白玉杯(Zhòng qíng báiyù bēi)    白玉の杯を挙げてもっと飲みましょう
慇勤頻致語(Yīnqín pín zhì yǔ)       ねんごろに色々話し、
牢牢撫君懷(Láo láo fǔ jūn huái)     しっかりと貴方の思いを慰めましょう
今宵離別後(Jīnxiāo líbié hòu)         今夜別れた後は、
何日君再来?(Hérìjūn zàilái)         貴方はいつまた帰って來るの?

唉…再喝一杯(Āi…zài hè yībēi)        あゝ、もう一杯飲んで

乾了吧(Gānle ba)            飲み干してね。

蛯沢家関係者の誰もが抱いている、香織に対しての想いである。

今の省吾は、長年使い続けたガラケーを遂に放棄して、新しいスマートフォンに交換し、着信音は別のものになっている。

省吾が望んだものは、形こそ多少違っていたとしても、ほとんどが手に入って満足したのであろう。

そして今、香織の帰りを心待ちにしているのは、北京に居る夫の中岡武司であり、遂に帰る日が来たのだ。

“何日君再来”

世代を超えて、いろいろな人の心に響く名曲である。

(おわり)