しらしんけん/何日君再来
~一途な愛と変わらぬ情熱の物語~ 連載第12回
第2章:それぞれの想い 第5話
香織は、双葉行政書士からの指導もあって、これまでも蛯沢正泰とは連絡を取るようにしてきたが、盆暮れに品物を贈ったり、株主総会の折に挨拶の手紙を出す程度で、直接に本人と会ったのは2年前、正治の葬儀の日の一度だけである。
しかも、その時の香織は、省吾の妻である愛子のことばかり気にしていて、父の葬儀の喪主であり、何度も顔を見ている筈の正泰のことを、実はほとんど覚えていない。
ただ、大企業の総務部長という先入観もあるのか、とにかく真面目一筋の堅苦しい人物という印象があったので、余計に“弱い方に味方”という言葉が、香織には響いたのであった。
香織と正泰との関係は、香織の父の省吾の父の弟である正治の子ということであるから、法律的には“4親等の傍系血族”ということになるが、いわば“遠い親戚”の一人にしか過ぎず、E社の問題がなければ一生付き合うこともなかったのかも知れないという程度のものである。
だが今、何故だか香織は正泰のことを、とても身近に感じていた。
映子は、言葉には出さないが、正泰が妻と二人の孫を連れて実家に帰ってくることを喜んでいるようだ。
しかし、映子は香織が喋りだす前に口を開いて釘を指す。
「香織ちゃん、もし正泰が帰ってきても、キングん会社を手伝えなんか絶対に言わんでよ。」映子も香織の母の充子と同様、省吾のことを皮肉も込めて“キング”と呼ぶのだが、この言葉の中に、やはり夫を仕事に縛り付け、結果として夫婦水入らずの余生を奪ったE社に対する鬱積した想いがあると、改めて香織は実感した。
「もちろん、そんなことは考えていませんけど、親戚としてお付き合いできればとは思っています。」
「それならいいんやけど。まぁ、正泰も会社のお家騒動でしんけん疲れちょんみたいやけん、暫くは仕事せんでゆっくりしちょきたいみたいで。」
「こちらには温泉が沢山ありますから、疲れを癒されるには一番良いのではないでしょうか。」
香織は、そう言ってその場を取り繕ったが、正泰が帰ってきたら一度は会わなければと思っていた。
そして実際に香織が正泰に会えたのは、その2週間後であった。
退職のことで正泰が母の映子に相談に来た日の翌日、映子が香織を昼食に誘ってくれたのである。
香織は、早くも訪れたチャンスに、期待を膨らませていた。
しかし、正泰の方は香織のことを全く覚えていないのか、初対面という感じで言葉を慎重に選んでいるのか、とても口数が少なく、香織は最初とても戸惑った。
親戚と言っても縁が遠すぎるし、かと言って全くの他人でもない正泰を、どう呼んでいいかすら分からない。
映子はそれに気付いたのか、こう言って気持ちを解そうと試みてくれた。
「お見合いやねんやけん、もうちょっとリラックスしよー。お互い親戚なんやし、名前で呼び合えばいいんやぁー。」
それでも三人で話している時の正泰は、なかなか口を開かなかったのだが、映子が席を外した時、正泰は驚きの行動を取る。
香織に向けて、“蛯沢・愛”のロゴマークの入った大きな改造バイクの写真を取り出して見せたのである。
「実は、私もエビサワマニアなんですよ。愛車はヨコハマYPZ1300エビサワ改。いいでしょ、香織専務。」
「えっ!」
的確な言葉が出ない香織に、正泰は笑顔で言う。
「母はキングさんがお嫌いのようだから、このことは黙っていましょうね。」
香織は心強い味方を得た気分であった。
間もなく映子が戻ってきたが、香織も正泰も、何もなかったようにしている。
「せっかくこうして引き合わせちゃったに、二人ともいい歳をしてから、しんけんシャイな
んやなぁ。」
何も知らない映子が、レジで会計をして目を離している隙に、香織と正泰は目線を合わせて含み笑いをしていたが、映子は全く気付いていないようであった。
(つづく)
登場人物紹介(第12回)
・蛯沢正泰(えびさわ・まさやす 52歳)
蛯沢正治の長男で、E社の取引先でもある大手オートバーメーカーである横浜重工で総務部長まで出世していたが、派閥争いに巻き込まれて子会社に飛ばされ、近々に母・映子のもとに戻ってくる意向らしい。