しらしんけん/何日君再来

~一途な愛と変わらぬ情熱の物語~ 連載第5回

第1章:蛯沢☆愛 第4話

蛯沢省吾と愛子との間の子である蛯沢純治。

中岡香織はずっと母と暮らしていたので、純治のことを2年前の蛯沢正治の通夜で初めて目にした。

当時の純治は、父に似てバイク好きなのは致し方ないとして、暴走族に入っている不良少年であり、省吾は放置していたが、愛子は常に心を痛めていたのだ。

とは言っても、愛子はE社の仕事には一切関わろうとせず、趣味半分のシニアモデル業で外に出ていることが多く、子育てに注力してはいなかったのだが。

香織は、E社に専務取締役として入社し、実質的に蛯沢家に帰ってきた後、省吾と愛子に代わって純治と何度も根気よく話をした。

香織をそこまで“しらしんけん”にさせたのは、もちろん父のためでもあったが、最初の頃には愛子への対抗心があったことが否めないだろう。

純治にとっては、自分は高校にすら行けていないのに、突然に現れた姉は、自分とは全く違う世界を歩んできた超エリートで、しかも姉の夫は外交官という想像も付かない雲の上の世界の人間でもあり、一体どう接したらいいのかすら分からなかった。

しかし香織は、知識や学歴の違いなど全く気にしていない感じで、本当の姉弟のように純治と接してくれる。

思えば、今は去ってしまった蛯沢啓太も、香織と同じように純治には優しかった。

そして香織は、父とそっくりな、粗忽で対人関係に不器用な純治を見ていて、実の弟であるかのように思えてきていたのだ。

ある日、香織は純治の改造バイクを見せてもらい、“いいバイクね”と言って褒め称えた。

もちろん暴走族仕様のバイクなのであるが、香織は本当に造形的に美しいと思ったので、その言葉に偽りや純治への気遣いなどは一切なかったのだ。

そういったこともあり、やがて純治は、突然に現れた姉の言うことを、徐々に聞き入れるようになってきた。

そして1年後、純治はまさに省吾がかつて経験したのと同じような転倒事故を起こし、左脚と左手を複雑骨折、バイクには乗れなくなってしまう。

それを機に、純治は暴走族から足を洗って、父・省吾への香織の口利きで、大好きなバイクの仕事ができるE社に入社、父同様に技術一筋で能力を発揮するようになったのである。

そのことを最も喜んだのは愛子であった。

「香織さん、本当にありがとうございます。あんな純治のために、そこまでしていただけるなんて、どうお礼を申し上げたらいいのか、言葉が見付かりません。」

頭を深く下げ、香織の手を取って、涙ながらに愛子が発する感謝の言葉は、本心からとしか思えない真摯なものだと香織は感じた。

香織の母の充子は、愛子が現れたために人生の在り方そのものが強引に変えられてしまったし、香織と啓太も結局は愛子の存在に振り回されているようなものである。

しかし、香織は何故か愛子のことを嫌いにはなれない。

何だかんだと言っても、レーサー時代の父を支えてきたのは愛子であったし、今も父の心を支配しているのは愛子である。

そんなことから、愛子と香織とは、“なさぬ仲”ではあり、あまり顔を合わせる機会もないし、表面的には仲良く話をすることはないが、省吾や純治という厄介な存在の男どもを御するという共通の目的もあり、何処か相通じている部分があると互いに思っているようであった。

そんな愛子が、今から2ヶ月前、突然に姿を消した。

香織は、愛子が姿を消す直前、この社長室で省吾と愛子が言い争っているのを、ドア越しに耳にしている。

明確には聞き取れなかったが、省吾は金銭のことで愛子を責めているようであった。

愛子は社長室を出て行き、そのまま今も戻って来ない。

最後に見た愛子、もう50歳になっているのだが今も若々しい美貌を保っており、それが逆にここでは浮いた存在、ここに居るべきではない存在であるかのように、香織は感じてしまうこともあった。

あれから2ヶ月、愛子の消息は分からないが、省吾や純治が愛子の携帯電話にコールすると留守番電話になり、電源は切られていないということで、僅かな安心を得ているようだ。

そのためもあってか、警察への捜索願とかは、省吾の意思でもって出されていないし、家族以外の誰にも愛子の失踪を知らせてはいない。

いずれにしても香織に分かっているのは、省吾が愛子の戻る日を心待ちにしているということである。

その証拠が、省吾の携帯の着信音となっている“何日君再来”なのだ。

元々社交的ではない省吾であるが、愛子が居なくなってからは、ますます一人で不機嫌な顔をして社長室に閉じこもることが増えている。

(つづく)

 

登場人物紹介(第5回)

・蛯沢純治(えびさわ・じゅんじ 20歳)

蛯沢省吾が愛子と再婚した後に生まれた子で、中学時代から暴走族に入り、何度も補導されていたが、ライダーとしての腕前は父譲りで、現在はE社で真面目に技術習得に取り組んでいる。

しかし、母が違う姉や兄に対しては、尊敬はしていても、学歴や知識の差にコンプレックスを持っているようだ。