しらしんけん/何日君再来

~一途な愛と変わらぬ情熱の物語~ 連載第4回

第1章:蛯沢☆愛 第3話

中岡香織が初めて実物の蛯沢愛子と会ったのは2年前、省吾の叔父の正治の葬儀前日に行われた通夜の席であった。

喪服を美しく着こなして省吾の隣に座る凛とした美女、かつて父から見せられた30年前のレースクイーン時代の写真と少しも変わらない趣から、それが噂に聞く愛子であることに香織はすぐ気付き、最初は激しい怒りと嫉妬とを覚えた。

この女のために自分と母と兄の人生は変えられてしまったのだ。

この女さえいなければ、自分たちの人生はどんなに平穏で幸せなものだったのだろう。

この女は父の財産を目当てに近付いてきたに違いない。

この女にどうやって思い知らせてやろうか。

様々な思いが香織の心の中を駆け巡る。

そして通夜の読経の後、親族控室で、香織は図らずも愛子の隣の席になってしまった。

香織はどうしたらいいのか分からない。

そんな時。

「あの、もしかして香織さん?」

声を掛けられて戸惑う香織に、愛子はにっこりと微笑んだ。

「私が愛子です。お会いできて嬉しいですわ。いつも省吾さんは香織さんの自慢話をしているんですよ。小さい頃から香織は優秀だった。英語も中国語もペラペラで、今は外交官の妻、前途洋々なんだと。」

香織は的確な言葉が見付からず、黙ったままであるが、愛子は続ける。

「正治おじさまが急に亡くなられて、省吾さんはきっと困ると思うんです。こんな時に啓太さんがいらしてくれたらどんなに頼もしいか。でも啓太さんはお見えではないようですね。」

香織も、ようやく口を開く。

「兄にも兄の人生があり、考えもあるんだと思います。」

「そうね、でもこの会社は蛯沢家のものなんですから、何とか守って行かなくてはいけないと思います。純治はあんなだし・・・。」

愛子が指差した先には、一人だけ喪服ではなく、暴走族の正装なのか、変なツナギの服を着ている、ふてくされたような態度の青年がいる。

「あれが私の息子なんです。省吾さんや蛯沢家のみなさんには申し訳なくて。」

香織が初めて見た“弟”は、若い頃の父の姿もこうであったであろうと思うほどにそっくりだった。

その時に、愛子に対する憎しみや怒りは、どうしたことか、香織の心の中から、ほとんど消えてしまったのである。

しかし、香織としては母の充子への手前もあり、その自分の気持ちの変化を信じないようにしていたのだが、その数週間後に父から帰国をせがまれた時、意外に抵抗なく受け入れてしまったのは、やはり愛子への憎しみや怒りが薄まっていたからなのであろう。

愛子がニコっと微笑めば、何だか全てがそれでいいのではないかと思ってしまう。

きっと省吾も、そんな愛子に魅せられたのに違いない。

自分の母である充子とはあまりにも違い過ぎる人種とも言える愛子を、父が愛してしまったこと、決して認めたくはないのだが、香織は今となってはその気持ちが分からないでもないのだ。

本当に愛子は不思議な存在なのである。

その愛子が居なくなり、父はただひたすらに愛子の帰りを待っている。

だから“何日君再来”。

香織の意識は現代に戻る。

今は暴走族をやめて改心し、E社に技術者として勤務している、愛子の子の蛯沢純治が、省吾の電話の相手のようだ。

省吾と純治は似た者親子で、二人とも会話が上手ではない。

「電話では言えん話なんか?」

「・・・・。」

「そうか、分かった。ほんじゃあ今日の夕方に話そうや。」

普段の省吾と純治との会話は、ほとんどが技術的な専門用語で、香織はあまり理解できないのだが、今日の会話はそうではなく、純治が省吾に個人的に話をしたいようである。

「しんけん、よだきいなぁ」

省吾が独り言で呟く“しんけんよだきい”とは、“よだきい”の強調形であり、省吾は純治との話を本当に面倒臭いと思っているようだ。

香織は、純治から事前に相談を受けていたので、その内容は概ね想像が付いているが、省吾はその話題には触れようとせず、またプラモデルの方に目を向ける。

(つづく)

 

登場人物紹介(第3回~第4回)

・蛯沢愛子(えびさわ・あいこ 50歳)

蛯沢省吾がレーサー時代に結成していた“チーム・エビサワ”専属のレースクイーンで、常に省吾に愛されてきたが、それに気付かないまま在日華僑であった蘇劉韋と結婚して香港に渡り、その後6年を経て省吾と再婚することとなった。

生まれながらの華やかな外見と、衰えを見せない美貌を武器に、現在でも雑誌の読者モデルやテレビのエキストラなどの、シニアモデルと呼ばれる仕事をしている。

しかし2ヶ月前、省吾との諍い事があって以来、行方が分からなくなっている。