リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第23回:失いたくないもの

遂に中村元彦と上川安子の結婚式と、S社とN社とが提携するための一般社団法人SNホールディングスが設立される日がやってきた。

両者の年齢を足せばちょうど120歳という熟年の再婚夫婦の結婚式は、数百人が招待される盛大な式典となった。

もちろん、安子の次男・慶次も、妻の晴美と子の翔大を連れて笑顔で参列している。

まだ孫が居ない元彦にとっては、急に息子夫婦と孫が増えたような気分であった。

中村綾香と上川雅樹は、あくまでも新郎の娘、新婦の息子、そして今日からガッチリと提携し、兄弟会社となる両社の新社長としての立場に徹して参列していた。

今日で退任するN社の窪塚健一専務が、新郎新婦のこれまでの功績を褒め称え、新郎新婦のバックアップを受ける両社の新社長の今後に大いに期待するとの祝辞を述べ、披露宴では雅樹を原発の現場に送ったことを、利害関係がなくなり、すっかり仲良くなった山田政二新専務と一緒に、笑い話のように大きな声で喋っている。

もちろん、雅樹が原発での辛い仕事をやり遂げて大きく成長したという事実を付け加えるのは忘れなかったが。

窪塚と山田の賞賛がなくとも、上川雅樹の素晴らしい新社長ぶりには、雅樹を知る参列者の全てが驚いたものである。

大宮侑璃も、出される食事の量には大いに不満であったが、雅樹の姿には納得の表情だ。

結婚式のラストを飾る、新郎新婦に贈る言葉を、雅樹が見事に暗記して語り上げた時は、隣に立つ綾香も感動して涙ぐんだものであった。

若い二人の姿を見て、参列していた誰もが、次は新社長同士の結婚式に招待されるものと固く信じている。

結婚式の前、安子は元彦の家、すなわち綾香の実家に引っ越してくる条件として、これ以上小鳥を増やさないことを元彦に約束させ、元彦はメジロの潤ちゃん以外の小鳥たちを、少しずつ知り合いなどに譲って数を減らすことにした。

しかし、安子の再三の要請にも関わらず、潤ちゃんだけは寿命まで置いてやってくれと、最後は涙を流してまで懇願する元彦のメジロへの愛情は、安子にとっては想定外であったが、それは許してやるしかなかったのだ。

雅樹は母と住んでいた家で一人暮らしをすることになり、元彦から何羽かの小鳥を引き取って、母の部屋を放し飼い部屋にしてしまい、家では終始マスク姿ということになった。

生活が変わらないのは綾香だけであり、綾香の雅樹に対する気持ちも、まだ固まらないままである。

元彦と安子は、珍しい鳥が見られるからということで、地球の裏側にあるチリとアルゼンチンを新婚旅行先に選び、2週間もの長い旅程を立てた。

その間、知人に譲って数は少し減ったが、まだ十数羽いるインコや文鳥たちは、雅樹が預かることになった。

しかし、隠密に飼っているメジロの潤ちゃんだけは、仕方がないので綾香が自分のマンションに連れてくることになってしまったのである。

毎朝メジロの囀りに起こされる暮らし、それも悪くないなと思うようになってきたある日、綾香は竹籠の中の潤ちゃんと対面しながら、あることを考えていた。

父は大量の小鳥たちを、亡き母の部屋で放し飼いにしており、小鳥たちは自由で楽しそうだった。

しかし、この潤ちゃんだけは、ずっとこんな狭い竹籠の中で暮らしている。

もしかして、この子は、放し飼いの他の小鳥たちのことを羨ましく感じていたのではないだろうか。

幸い、この部屋はそう広くもなく、窓もしっかり閉まっているので、危険はないだろう。

そう思った綾香は、竹籠の扉を開けてやった。

潤ちゃんは、暫く躊躇っていたが、やがて本当に嬉しそうな顔をして、竹籠から飛び出し、綾香の手に乗ってきた。

「潤ちゃん」

父がいつも呼んでいるのを真似して名前を呼べば、潤ちゃんは可愛らしい顔をかしげて綾香を見ている。

しかし、次の瞬間、大変なことが起こってしまった。

いきなり飛び立った潤ちゃんが、何処にも見えなくなってしまったのだ。

綾香は必死で部屋中を探したが、潤ちゃんは見当たらない。

そしてベランダに出る窓際を見て、綾香は心臓が止まる思いをする。

サッシのガラス窓の上部にある小さな換気用の窓が開いていたのである。

「潤ちゃん・・・。」

綾香は、潤ちゃんが、その小さな窓から外の世界に出て行ってしまったと思い、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。

父が警察から戻ってきた時に言っていた。

潤ちゃんのような小さなメジロは、外に放ったら、たちまち大きな鳥に食べられてしまう運命なのだと。

綾香は、一縷の望みを掛けて、竹籠を持ってマンションの7階のベランダに出た。

父が、放鳥しても勝手に籠に戻ってくることもある、と言っていたからだ。

でも、潤ちゃんは、いくら待っても戻ってはこない。

こんな時に限って、普段は気にもしていなかった大きな鳥が飛んでいるのが何度も目に入ってきて、さらに綾香の心は揺らぐ。

父にどう言って謝ったらいいのだろう。

もちろん、綾香はそれも思っていたが、それ以上に潤ちゃんが大きな鳥に食べられてしまったらと考えると、涙が止まらなくなるのであった。

今は亡き養母の依子が、当時3歳だった長男、すなわち綾香の義理の兄であった筈の秀彦から一瞬目を離したばっかりに、交通事故でその小さな命を失ってしまったという話を綾香にした時の気持ちを、今さらながら思い出してしまう。

どんなに大切にしてきたものであっても、一瞬にして失われてしまうことがあるという、この厳しい現実を突き付けられた綾香の心は千々に乱れるのであった。

(つづく)

※これ、私の自宅(東京都江東区亀戸)からの風景です。