リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第19回:十字架の赦し

中村綾香の携帯に、姉の真田静香からLINEが入った。

すぐに相談したいことがあるので、新潟まで行くから会って欲しいとのことである。

綾香は多忙な毎日であったが、静香のLINEの文面から、ただならぬ気配を感じたので、自宅マンションに静香を迎えることにした。

静香は重い口を開く。

「実は、お父さんが綾香と綾香のお父さんに会いたいって言っているの。」

静香にとっての“お父さん”とは、綾香にとっては、幼い日に虐待を受けてきた戸籍上だけの父であり、中村元彦にとっては、かつて脅迫を受けて多額の金銭を払わされた相手であり、反社会勢力に属していると言われてきていた真田辰夫である。

綾香の心は乱れた。

「どうして、今になって・・・。」

「実はね、お父さんは肺癌になって余命が残り少ないらしいの。それで最近は裏社会からはすっかり足を洗って、刑務所で知り合った牧師さんの教会をお手伝いしているらしいんだけど、自分が死ぬ前に二人に謝っておきたいんだって。」

「・・・。」

「何の罪もない綾香には、幼い頃、本当に申し訳ないことをしてしまったって。それから綾香のお父さんにも、本当は受け取ったお金をお返ししたいんだけど、それはできないので、せめて一言謝りたいって。」

「そう言われても・・・。」

いつもは快活で決断力のある綾香だが、このことばかりは簡単には決断できない。

「実は先週、教会の牧師さんに誘われて、お父さんと会ってきたの。もうすっかり変わってしまって、まるで別人みたいだったわ。だから、綾香と綾香のお父さんに謝りたいというのは本気だと思うの。」

綾香は考えた。

もちろん、戸籍上だけの父の、こんな身勝手な申し入れなど、一言で拒絶してしまっても構わないのであろう。

しかし、目の前にいる姉の静香にとっては、そんな人物であったとしても、たった一人の実の父であり、また今日は来ていないが、静香の息子の一郎にとっては、たった一人の祖父なのである。

そして静香も、このことを綾香に言うのに、どれだけの迷いがあり、どれだけ辛い決断をして、自分の前に来ているのであろう。

そう思うと、父の元彦に会わせるべきかどうかは後で考えるとして、自分は会っておくべきかも知れないと考えるようになった。

もしかしたら、それで自分がずっと迷い続けていたこと、苦しみ続けていたことから解放されるかも知れないとの一抹の期待も、綾香の中にあった。

数日後、石川県と新潟県の県境あたりの山の奥にある小さな教会で、綾香は27年ぶりに真田辰夫と会った。

静香が言っていた通り、辰夫には昔の反社会勢力だった頃の面影は全くなくなっており、何処にでも居るような弱々しい普通の老人であり、綾香が幼かった頃の記憶から心に描いていた怖い人というイメージとは180度違う姿であった。

綾香の顔を見た辰夫は、ひたすら頭を下げている。

そして何かを言おうとするのだが、あまりにも言葉が弱すぎて聞き取ることもできない。

どうやら、肺癌という病魔が辰夫の言葉をも奪い去りつつあるのであろう。

牧師が辰夫の代わりに綾香に言う。

「真田辰夫さんは、刑務所でイエス様の教えに触れられ、出所後には毎週欠かさずこの教会の礼拝に来られるようになりました。そして神様がこの世に送ってくださった独り子であるイエス様が、私たちの身代わりに十字架刑を受けてくださることで、私たちの罪は全て赦されたという真実を知られて、私たちの前で罪の告白をされたのです。それからは、いつも綾香さんと中村元彦さんに謝罪したいと言い続けておられました。」

辰夫は、神に祈りを捧げているように見える。

「自分が重ねてきた深き罪も、今は神に赦されたということに、真田さんは気付かれたのです。それ以来、真田さんは敬虔なクリスチャンとなられました。それでも、お二人にだけは謝りたいと。」

「分かりました。私はそれで結構です。父には私から、真田さんが心から謝罪されていることを伝えます。そのことに関しては、不倫の罪を犯した父の方が真田さんよりもずっと罪深いのですから、真田さんが直接謝罪されるには及びません。」

そして綾香は、真田老人の手を取り、幼い頃の数年間の間だけではあったが、実の父娘として一緒に過ごしてくれたことに心から感謝して、その場を立ち去るのであった。

綾香はこれで決意した。

相手がどのように思おうと、自分の出生については本当のことを言うべきだ。

だから上川雅樹と上川安子にも、このことを打ち明けよう。

それで彼らの自分に対する意識が悪い方向に変わるのであるなら、それはそれで仕方がないことだ。

だって、それが真実なのだから。

その機会が訪れるのは、かなり先の話なのであるが。

(つづく)