リネージュ(Lineage)
~二つの会社と三つの家族の愛情物語~
第18回:化学反応
中村綾香は、中村元彦に代わってサウザンド建装株式会社の代表取締役に就任した。
阪本武史監査役という強力な後ろ盾があるので、専務取締役の松本俊郎も異議は言わないし、S社の中や取引先の間では、若い女性社長の誕生を歓迎するムードであった。
前社長で、今は平社員となってしまった中村元彦は、昼間は黙々と建設の現場での仕事をこなし、夕方は早めに小鳥たちに餌を与えたら、さっさと家を出て何処かに行くという毎日になっている。
綾香は、そんな父を見て、きっと上川安子と会っているのだろうと思っていた。
ところが、社長就任の正式な挨拶を兼ねてN社を訪問した後の上川雅樹の言葉に、綾香は驚くことになる。
「ママが“鳥さん事件”のことで機嫌を損ねてて、綾香さんのパパと会ってあげないんだって。」
「えっ??」
「綾香さんのパパ、釈放された日から何度も何度も家に来てくれるんだけど、お気の毒なんで、今は僕が相手してあげてるんだよ。」
警察から戻ってきた日、安子に謝りに行くと言って朝まで帰ってこなかった時から、今も父が夜遅くまで帰ってこないのは、上川安子と会っているのではなく、どうやら雅樹と話していたらしいのだ。
「綾香さんのパパ、本当にいい人だよね。小鳥さんの羽のおかげで僕はマスクをしないといけないんだけど、段々と慣れてきてね。」
そう言えば、雅樹は今も何故かマスクをしている。
「人前でマスクは失礼にあたるんだから、外しなさいよ。」
綾香の言葉に、雅樹は慌ててマスクを外すが、やはり小鳥は好きみたいだ。
「それで、僕も綾香さんのパパに教えてもらって、小鳥さんを飼おうかなって思ってるんだ。だって、綾香さんのパパと僕のママが仲直りしてくれないと、会社同士の提携も難しくなるかも知れないからね。」
自分が知らない間に父と雅樹とが勝手に人間関係を作っていることに、綾香は驚くと共に戸惑うのであった。
このままだと自分だけが流れに取り残され、場合によっては悪役にされてしまいかねない雰囲気になってきているようなのだ。
かと言って、目の前に居る頼りなくて弱々しい雅樹を、改めて好きになれと言われても、そうもいかないような気もする。
しかし、雅樹の次の言葉に、綾香はさらに驚く。
「綾香さんがパパの会社の社長さんになったんだから、ママの会社の社長には僕がなろうと思ってるんだ。」
「雅樹さん、本気で??」
「もちろん本気だよ。実は窪塚専務が退任されるみたいなんで、ノーススター社の社長の席が空くから。山田常務となら上手くやって行けそうな気がするし。」
何だか、綾香の知らないうちに、雅樹の中で大きな化学反応が起きているらしい。
雅樹は、さらに言葉を続ける。
「綾香さんのパパ、鳥獣保護法で書類送検になったけど、不起訴で終わるから前科は付かないし、ホールディングス会社の方で僕のママと一緒に役員をやってもらっても問題ないと思うんだ。」
法学部出身の雅樹は、宅建士の試験には受からないが、刑法と会社法には多少詳しいのかと綾香は思ったのだが、実はこの情報は、雅樹が原発現場でLINEグループに入れられて以来、たまに連絡を取っている“社会経験の豊富な友達”に教えてもらったものであった。
原発現場は、雅樹にとっては未知の世界の人脈と繋がる機会でもあり、最初は怖いと思っていた“友達”たちから、性格の良い雅樹は今ではとても可愛がられているのであった。
「役員を辞めなくても大丈夫だったのね。」
「でも、これが良い機会だから、ママとパパはホールディングス会社で気楽な名誉職に就いてもらって、綾香さんは新潟で建設業、僕は長岡で不動産業の会社の社長で、お互いに長岡と新潟に支店を置けば、二つの会社が一緒に大きくなれると思うんだ。なにしろ綾香さんの会社には監査役の阪本先生がいらっしゃるから、いざという時には頼りになるし。」
「雅樹さん、何だか急にしっかりしてきたわね。」
そう言えば、綾香は雅樹が原発の現場に行かされて以来、会っても体を近付けることもなく、全く恋人らしくなくなっていたのだが、今日は恋人時代に戻ったような気がしていた。
「もちろん、ママのことが心配ということもあるんだけど、綾香さんのパパから経営者の心得とかを教えていただいているので自信が出てきたこともあるし、それに実は、僕を応援してくれて、100%信頼に足る優秀な部下が一人できてね、何だか凄くヤル気になってきたんだ。」
雅樹は、大宮侑璃から言われた言葉を思い出していた。
「そうね、いよいよ私たち若い世代が中心になって物事を動かす時代が来たのかもね。」
「そうだよ、僕を応援してくれる部下なんて、まだ24歳なんだけど、僕なんかよりずっとしっかりしているんだから。食欲だって僕の5倍はありそうだし。」
綾香は、侑璃の存在を知らないし、食欲のことを聞いて、まさか女性ではないと思ったので、そんなに若くて優秀で、かつ逞しい男性の人材はN社の中の誰なのだろうとの疑問を持ったが、特に雅樹に名前を聞くことはしなかった。
「分かったわ。じゃあ、私たち二人が中心になって、両社の提携の話は前に進めることにしましょう。」
綾香の中で、一度は雅樹との個人的な関係は断ち切ったつもりであったが、今は親同士のことと会社のこととで連携が必要な時でもあるし、もう一度冷静に考え直してみようという気持ちになってきていた。
(つづく)