リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第16回:放鳥と帰還

ようやく被疑者勾留を終えて、元彦が自宅に帰ってきた。

「綾香、本当に申し訳なかった。今日をもって私は代表取締役を辞任して平社員になるので、綾香が代わりに代表取締役に就任してくれ。」

元彦は心から反省しているようである。

「分かったわ。阪本の伯父様からもそう言われているから、そのようにするけど、ノーススターさんとの話はどうするの?」

「もちろん、綾香が良いと思う方向で進めてくれ。私は今から上川安子さんに謝罪に行ってくるから。」

元彦は、そのまま翌朝まで帰ってこなかった。

おそらく安子とは仲直りできたのであろうと、いつもの通り小鳥たちの囀りで目を覚ました綾香は、少し安心した。

しかし、小鳥たちの中にメジロの潤ちゃんの姿がなく、事件以来、あの美しい囀りを聴くことができないことが、物凄く寂しく感じられる。

そんなことを思いながら、綾香が台所で朝食を済ませてゆっくりしている時、あの囀りが聞こえてきて、最初は空耳かと思った綾香であったが、次の瞬間に父の姿と竹籠が目に入ってきたのだ。

「綾香、喜べ!潤ちゃんが帰って来たぞ!」

「??」

鳴き合わせ会が摘発された際、出場していたメジロたちは証拠物件として警察に連れて行かれるのだが、メジロは野鳥なので、本来は放鳥と言って、籠から出して山に帰されるのがルールである。

しかし、警察署の中に鳥好きの人が居て、いったんは放鳥したけれど、同じ籠に勝手に戻ってきたという筋書きを作って、潤ちゃんを返してくれたらしい。

もちろん、元彦は暴力団担当の怖い刑事たちから散々注意され、もう二度と鳴き合わせ会には行きませんという念書は取られているが、実際に放鳥などしてしまえば、潤ちゃんのように小さなメジロは、たちまち大きな鳥に食べられてしまう運命なのだから、鳥獣保護の観点からも、これが本当に正しい措置なのかも知れない。

潤ちゃん潤ちゃんと繰り返しメジロの名前を呼んで、心から嬉しそうにしている父の姿に、綾香はもう父にはあまり責任の重い仕事をさせないで、鳥たちと一緒に余生をゆっくり暮らさせてやらなければならないと考えるようになってきていた。

同じ頃、中村元彦の逮捕で落ち込んでしまった母を見て、そしてS社の代表取締役に就任するという綾香の姿を見て、上川雅樹は、やはり自分がしっかりしなければならないと考えるようになってきていた。

自分と綾香との関係は相手次第なので何ともできないのかも知れないが、母と中村元彦との関係は幸せな結末に終わらせてあげたい。

そして、母には第二の人生として、会社経営の苦しみのない気楽な生活をプレゼントしてやりたい。

そのためには、自分が母の代わりを務めるしかないのだ。

そう思えば、専務と常務に嫌がらせみたいにして行かされていた、原発をはじめとする厳しい現場での経験も、将来の部下となる者たちに対しての説得力という面では、今後に向けての大きなプラスになるのではないかと感じるのである。

雅樹は母に言った。

「サウザンド建装さんとの提携が進んだ時には、今度こそ取締役にして欲しいんだ。建設現場をたくさん経験させてくれた山田常務とも上手くやっていけると思うようになったんだよ。」

安子は、息子の変わりように驚いたが、自分自身も息子に恥じないようにしなければとの思いを新たにするのであった。

雅樹はさらに言葉を重ねる。

「慶次に会いに行ってくるよ。」

雅樹の結婚式に慶次を招待するというプランが暗礁に乗り上げている今、雅樹自身が動くしかないのだということを、雅樹はよく分かっているのだ。

もし自分の結婚式に招待できなくても、母の再婚式には招待できるのであるが、会社の手続きを進めるためには、慶次の協力が必要であるし、それ以前に、雅樹はずっと昔の父が存命中の頃から、弟との和解を強く望んでいたのだから。

雅樹が慶次と会うのは、慶次が中学卒業以来であるから、実に14年ぶりであったが、わざわざ東京まで足を運んで来た兄を、弟は快く迎え入れてくれた。

「どうしてこれまで、兄さんが自分で出てきてくれなかったんだよ。」

「面目ない。今までの僕は、全部ママに任せっきりで、現実から逃げていたんだと思うよ。」

「俺も父さんの葬式に行かなかったのは、本当に申し訳なかったと思ってるよ。」

「そうだな、父さんも慶次のことをずっと気にしていたからな。」

「で、父さんの相続なんだけど、実は放棄の手続きをしようと考えていたんだ。ところがいきなり母さんと兄さんの代理人という弁護士さんから、内容証明郵便っていうのが来て、5日以内に返答せよとか、いっぱい怖そうなことが書いてあったので、てっきり俺と遺産相続のことで裁判しようとしていると思い込んでしまったんだ。それで俺の方も弁護士さんを頼むしかなかったんだよ。」

「そうか、申し訳なかったな。これからは僕も自分自身で何でも考えて決めることにするよ。もうママも歳だからね。可愛い孫の顔を見せてやってくれよ。」

数週間後、慶次は妻の晴美と5歳になる長男の翔大を連れて母の家を訪ねてきて、安子は初めて孫の顔を見ることができたのであった。

十数年の時を経て、野に放たれていた慶次は、大きく成長した姿で上川家に帰還したのである。

(つづく)