リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第10回:修行の日々

上川雅樹は、山田政二常務の命令で越後原発の現場に来ている。

放射能漏れ事故があったばかりということで、大層な放射線防護服を着せられての仕事となり、夜は粗末な簡易宿舎に詰め込まれて外出も禁止され、雅樹にとっては地獄のような現場であった。

それに、N社からは結局は雅樹一人しか来ておらず、周囲には柄の悪そうな人物も多く、朝から夜まで恐怖の連続である。

作業員同士でLINEグループを作らされて、怖そうな人たちに連絡先を知られてしまったことも、雅樹にとっては大きな不安であった。

しかも、最初は1週間と言われていたのが、放射線の影響で作業が遅延して、もう10日が過ぎている。

雅樹は中村綾香と毎日、月並みな内容でLINEを交わしていたが、綾香は姉の真田静香とLINEで話して以来、早く雅樹と会って出生の秘密を打ち明け、婚約の話をしたいと思っていたので、雅樹の現場からの帰りが遅れていることに、徐々に苛ついてきていた。

また綾香は、正直な雅樹のLINEの文面に現れる不自然な感じの表現に、何かを隠しているのではないかと疑うようにもなってきている。

そして雅樹も、原発現場に居ることをいつまでも綾香に黙っている訳にはいかないと考えて、実は越後原発に居ると、ここに来てから12日目のLINEで初めて連絡した。

その文面を見た綾香は、普段の冷静な綾香らしくもなく、すっかり取り乱してしまう。

「どうしてそんな所に居るのよ!お母さんが社長で、あなたが後継者なんでしょ?もしあなたの身に何かあったらどうするの!」

綾香の怒りのメインは、原発のことではなく、雅樹が変に隠し事をしたことに対するものなのであるが、もしかしたら原発の現場に挑んでいる自分の勇気を褒めてもらえるのではないかと淡く期待していた雅樹は、そうは捉えることができず、その怒り方に驚いてしまった。

「人の嫌がる現場に行くのも、良い後継者になるための修行だって専務と常務に言われると、逆らえなくて・・・。」

雅樹のこの言葉が、さらに綾香の気持ちを逆上させてしまう。

「何を言ってるの!ママはどうして止めてくれなかったの?」

「心配すると思ったので、ママには内緒にしているんだ。」

綾香の脳裏には、雅樹を虐めてニヤニヤと喜んでいる専務と常務の顔が浮かぶ。

もちろん、一度も会ったことのない人物なのであるが、綾香の中には時代劇に出てくる悪役俳優であるかのようなイメージが既に出来上がっているのだ。

「私がママに言ってあげようか?」

綾香のLINEでの言葉は親切心から出たものであったが、ここで自分の雅樹への気持ちが急激に醒めてきたことに、綾香は気付いていた。

「いいよ、僕の問題なんだから、放っておいてくれ。」

その後、綾香は自分から雅樹にLINEをすることがなくなり、雅樹からLINEが来ても、本当に月並みな返信しかしなくなる。

結局、雅樹は3週間も原発の現場に居て、ようやく帰ってきたが、気持ちの落ち込み方は相当なものであった。

綾香も、自分が描いていた雅樹との未来が、悪役俳優のような専務と常務のせいで脆くも崩れ去ってしまったように思えて、何も手に付かない毎日となってしまっていた。

しかし上川安子は、自分と通じている役員秘書の大宮侑璃から、雅樹が原発の現場に行かされていることを聞き、専務と常務を見返すという目的に燃えて、S社との提携話を積極的に進めようとするようになり、S社の中村元彦社長に直接電話で連絡して話をする機会が増えてきている。

彼らはLINEどころか、携帯電話のメール機能すら使えない旧世代なのだ。

「専務と常務が、息子を原発の現場に行かせたり、あらゆる嫌がらせをしてくるんです。何とか彼らを見返してやりたいんですよ。御社との提携の話を早く進めてはいただけないでしょうか?」

「上川社長、お気持ちは十分に分かりますが、やはり経営上の問題と個人的な感情とは分けて考えるべきと思います。私の会社の方でも、御社との提携に関してのメリット、デメリット、経済合理性などを慎重に検討させていただいているところですから、もう少しお待ちください。」

「それは十分に分かっていますが、専務と常務の横暴を何とかできないものでしょうか?」

「会社の株式は上川家が持っておられるのですから、法律的には専務と常務を解任することは可能かも知れませんが、今それをすると会社が立ち行かなくなるのではないですか?」

「それはそうですね・・・。」

「経営も人事も戦略的に進めなければなりません。今は時期が来るのを待つしかないでしょう。」

「もしうちのマー、じゃなかった、うちの雅樹と綾香さんが結婚することになれば、どうなるのでしょう?」

「もちろん、株式の相続の関係とかでは両社が一体化の道を歩むことにはなろうかと思いますが、それもあくまでも経営上の問題ですから、やはり分けて考えるべきなのではないでしょうか?」

安子は、何度か元彦と電話したり、会って話をしているうちに、最初は亡き夫の悪友で、ガラの悪い経営者と思い込んでいた元彦が、実は全ての事を冷静に判断できる優秀な経営者であるらしいことに気付き始めていた。

ただ、まだ元彦が異様な程の鳥好きで、亡き妻の部屋を小鳥の放し飼い場所にしてしまい、メジロの鳴き合わせという違法行為に手を染めているという事実を安子は知らなかった。

雅樹と綾香を交えて4人で会った時に、雅樹が普段はしないマスクをしていたので、元彦が小鳥を飼っているらしいということには気付いていたのだが。

元彦が思い出したように安子に言う。

「ところで、次男さんがおられると聞いているのですが。」

安子には雅樹より2歳下の次男・慶次がいるが、安子は普段、彼のことは忘れようとしていたのであった。

(つづく)