リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第9回:もう一つの家族

阪本邸からの帰り道、綾香は一本のLINEを受け取る。

差出人は真田静香、綾香の戸籍上の父、真田辰夫と妻の麗子との間に生まれた子、すなわち綾香とは戸籍上では実の姉、実際には父が異なる姉ということになる存在である。

綾香と静香とは、綾香が4歳で中村家の養女となって真田家を去るまで、姉妹として一緒に暮らしていた。

綾香の養親である中村元彦と依子は、綾香が養女であることを打ち明けた後も、姉の静香の存在を隠していたが、綾香が20歳の大学生だった頃、当時付き合っていた男子学生がアルバイトをしていた探偵事務所を通して、過去の戸籍を調べたのである。

その調査の方法は違法であると綾香は薄々感じていたが、どうしても自分の出生の秘密を全て知りたかったのだ。

そして実の母である麗子が既に死亡していることと、5歳年上の姉が存在すること、そしてその姉の静香がシングルマザーとして、当時は生まれたばかりだった息子・一郎を育てながら、石川県の温泉街の旅館に住み込みで働いていることが分かった。

そして、綾香は静香に会いに行き、戸籍上の父の辰夫が、未だに刑務所から出たり入ったりの生活を続けている人物であるということを知る。

幼い頃は、辰夫に虐待される綾香をいつもかばってくれる姉であった静香の存在を、中村家の優しい両親と暮らす綾香は長い間忘れていたが、会った瞬間に記憶が全て蘇ってきた。

再会して以来、時々LINEで連絡を取るようになった二人であったが、互いの父には内緒のことである。

しかし、もし綾香が雅樹と結婚することになれば、自分と中村家と真田家にまつわる事実を、いつまでも雅樹に隠しておく訳にもいかないだろう。

そのことも、綾香が雅樹との結婚を躊躇する一つの理由であった。

静香は綾香のことを、幼い頃と同じように、ごく普通に妹として扱ってくれる。

だから綾香は、静香には何でも正直に話していたのだ。

LINEの内容は他愛もないもので、新しい彼氏と一緒に、自分が勤める温泉旅館においでよ、というような内容なのだが、綾香は複雑な気持ちであった。

綾香は思い返す。

自分は高校生になるまで、少し記憶に違和感があったとは言え、中村元彦・依子夫婦の子であると信じていた。

だが、いつかは戸籍という名の、感情のない冷たい文書によって、自分が優しい両親の実の子ではなかったことを知ってしまう運命にあったのだろう。

その意味では、先に本当の事を話してくれた両親には感謝している。

しかし、まさか自分が本当の養女ではなく、実は元彦の実子、すなわち不倫の子であったという、何とも表現のしようのない真実を知ってしまった時、それを教えてくれた阪本武史を憎らしく思ったことさえあった。

しかし今は、真実を教えてもらったからこそ、冷静な気持ちで姉の静香と会うことができているのだから、やっぱり阪本に対しては感謝の念しかない。

まだ中村元彦と真田辰夫、そして真田麗子と自分との本当の関係を知らなかった頃、大学の教養課程で民法の授業を受けて、もし綾香が結婚して子を設ける前に死亡した場合には、中村家と真田家の両方の両親に綾香の遺産が相続されることになっていると知り、綾香は1枚の遺言書を書いた。

もちろん、その当時の綾香に財産があった訳ではない。

しかし、今は縁を断っている真田家側に相続の権利が行くことになれば、中村家の両親が悲しむであろう、その一念だけが動機であった。

「私が死亡したら私の全財産を父・中村元彦に相続させます。住所、生年月日、中村綾香。」

たったこれだけの文章を自筆で書くのだが、綾香は何度も何度も書き損じては書き直している。

どうしてこんな嫌な文書を書かなければならない運命に生まれてしまったのだろうか。

このことが、いずれは綾香が幸せな人生を得ることに対する、とんでもなく大きな妨げになってしまうのではないだろうか。

漠然とした不安が、綾香をさらに自分の過去を調査するという行動に走らせたのであろう。

しかし、知ってしまった過去は変えようがない。

綾香は姉の静香にLINEの返信をした。

「今度の彼氏とは本当に結婚するかも知れないの。だから、もし本当に彼氏と一緒に旅館に行った時には、私の姉さんだって名乗ってね。」

その時の綾香は、近々に雅樹に自分の出生の秘密を打ち明けて、ずっと抱えて生きてきた悩みを終わらせ、会社同士の提携を機に、いよいよ婚約を考えようと思っていたのである。

(つづく)

※自分の戸籍を見れば、ここまではすぐに分かりますが、ここから先の情報を取得するのはなかなか難しいのです。

 

登場人物紹介

・真田静香(さなだ・しずか 36歳)

真田辰夫と麗子の長女で、早くから両親とは離れて自立した生活をしており、現在は石川県にある温泉旅館の住み込み職員となり、シングルマザーとして長男の一郎と暮らしている。

中村彩香とは互いの存在を知っており、双方の父には内緒で、時折連絡を取り合っている。

 

・真田辰夫(さなだ・たつお 75歳)

亡真田麗子の元夫で、中村彩香の戸籍上の実父となっているが、反社会勢力に属している人物と見られている。

27年前、次女の彩香が、実は当時は妻だった麗子と中村元彦との間の子であったことを知り、元彦を脅迫、県会議員であった阪本武史の仲介でもって、相当額の金銭を得ると共に、彩香を中村家の養子にすることで決着を付け、それ以来、真田の方から中村家への接触はしていない。