リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第8回:原発

昼食代の支払いでカラになってしまった財布を見ながら、昼休みを終えて会社に戻る途中の上川雅樹に、山田政二常務から折り入っての話があるので常務室に来てくれとの、社内でのLINEグループからの呼び出しが入ってきた。

雅樹の財布をカラにした張本人の大宮侑璃からの情報を得たばかりだったので、常務からの話はS社との提携のことだと思い、気を引き締めて常務室に向かったのだが、その話は雅樹の想定外のものであった。

「雅樹くん、明日から1週間ほど、越後原発の現場に行ってくれないか。」

いきなりの話に、雅樹は驚くしかなかった。

「越後原発、ですか??」

越後原発とは2007年7月に発生した新潟県中越沖地震の際には被災して大騒動になり、2011年3月の東日本大震災の際にも実は放射能漏れ事故があったと噂されている、様々な問題を抱えた原子力発電所なのだ。

しかし、常務は何でもないことのように話を続ける。

「我が社としては、原発の仕事は請負単価が高いから大変助かっているんだが、こないだ放射能漏れの事故が起きたばっかりだから、ちょっとだけ危険らしいんで、行ってくれる奴が少ないんだ。頼むよ。」

原発と聞いて、さすがに躊躇う雅樹に、常務は言葉を重ねる。

「雅樹くんは、いずれこの会社を継ぐのだから、現場での苦しい経験は、買って出てでもしておくべきだと思うよ。それに、この程度の放射能漏れ事故はちょこちょこあるから気にするなって関東電力が言っているし、多分大丈夫なんだろうから。」

その時に、何故かノックもしないで扉を開けて、隣の専務室から窪塚健一専務が入ってきて言う。

「雅樹くん、原発の現場なんて、そう行けるものではないんだから、是非とも経験してきなさい。」

「窪塚専務がおっしゃる通り。」

「こういった経験は、いずれ君が社長になった時、下の者に対する大きな説得力となるのだよ。山田常務は、後継者である君のためを思って指名してくださったのだから、感謝しなくてはいかんぞ。」

「さすがは専務、分かっておられる!」

「うん、さすがは常務だ。」

山田と窪塚は、互いの言葉に激しく同意し合っている。

この二人は、普段は全く意見が合わず、いつも経営方針では対立しているのだが、後継者として入ってきた雅樹を虐めることでのみは共通の意識を持っているようなのだ。

後継者だから皆が嫌がる危険な現場を体験しておけというのは、一応は筋が通った正論だけに、雅樹は何も反論できないのだが、常務も専務も、それを分かった上で雅樹に嫌がらせをしているのではないかと思えてならない。

半開きになっているドアの向こうに、秘書の侑璃の姿をチラっと目にした雅樹は、つい先ほどの昼食の時には原発の話を全くしなかった侑璃も常務や専務とグルなのではないかと少し疑ったが、振り向いた侑璃の心配そうに自分を見つめている可憐な表情を見て、逆にここで侑璃に対してカッコを付けなければならないと思ってしまったのか、少し虚勢を張って常務に答えた。

「分かりました。それでは行ってきます。」

常務と専務は、本当に嬉しそうな顔をする。

「そうか、さすがは上川家のご長男。」

「亡き道春社長の面影を見た気がするよ。」

「偉い!!」

しかし、最後に弱い雅樹が顔を出してしまう。

「でも1週間だけですよね? 必ず無事に帰ってこれますよね??」

常務室を出た雅樹は、さすがに不安になってきた。

行くと言ってしまった限り、もう後戻りはできない。

ましてや、常務と専務ばかりではなく、侑璃も聞いている前で返事をしてしまったのだ。

しかし、このことを聞けば、母の安子は心配するのが分かっているし、場合によっては常務と専務のところに怒鳴り込みに行って、結局は雅樹が大恥を掻く羽目にならないとも限らない

だから母には普通の現場に1週間ほど出向くということにしておこう。

では、中村綾香はどう思うだろうか。

正直なところ、雅樹には綾香の反応が予想できなかった。

母と同じように怒り出すのかも知れないし、逆に後継者としての修行のために進んで危険な原発の現場に行くと言えば、綾香は褒めてくれるのかも知れないのだ。

しかし、親同士の面談も無事に終わり、自分と綾香との関係は順調に進んでいるのだから、万に一つでも綾香に嫌われるような事態には陥りたくない。

こうして、雅樹は綾香にも原発のことは黙っておこうと思ったのである。

(つづく)

登場人物紹介

・窪塚憲一(くぼづか・けんいち 57歳)

N社創業以来の生え抜き役員で、バブル期に不動産事業への進出を提案して失敗、その責任を取るという理由もあり、現在も不動産担当として立て直しを図っている。

先代社長死亡以降は勝手に“社長代行”を名乗っており、今でもN社の代表者の印鑑は窪塚が管理している。

そのためもあってなのか、この度浮上してきたS社との提携話に関しては反対の立場を取っている。

 

・山田政二(やまだ・せいじ 52歳)

N社には新卒で入社以来、建設部門一筋で歩んでおり、高い技術力を持っているため、S社との提携に関しては、資本の注入による高性能の建築機械の導入などに期待しており、窪塚とは全く逆の意見を持っている。