リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第7回:役員秘書

N社では、いつもの毎日が始まっている。

今は亡き上川道春社長が使っていた広くて立派な社長室は、二部屋に分割して改装され、それぞれを“専務室”“常務室”として、窪塚健一専務と山田政二常務が使っており、今の社長室は、以前は小会議室だった狭い部屋になっている。

もっとも、社長の上川安子は毎日出社するのではなく、今の社長室は稀にしか使われないので、誰もが致し方ないと思っていた。

上川雅樹はやっぱり納得できないのだが、平社員である自分にとっては雲の上の存在である両役員には何も言えない立場である。

本来なら、後継者である雅樹こそ、亡父が大切に守っていた社長室を取り戻そうとの気概を持つべきなのであるが。

昼休み、雅樹は、長岡名物へぎそばの“越後長岡小嶋屋本店”で食事をしながら、専務と常務、両方の役員秘書を務めている大宮侑璃から、今日の二人の状況についての報告を聞いている。

侑璃は24歳、安子の知人の娘で、秘書にと紹介したら、専務と常務とで取り合いになり、結局両方の秘書となって、専務室と常務室との間にある、外からは見えないドアで自由に行き来しているらしいが、実は彼女は、安子が差し向けた、いわばスパイのような存在なのである。

侑璃は、確かに専務と常務が取り合いするだけに、美貌と知性と愛らしさとが程よく合わさった、とても魅力的な女性であり、実は安子は、雅樹が侑璃のことを好きになるのではないかと思っていたのだが、内気な雅樹にとって、侑璃はあまりにも華やか過ぎて、とても手に負えそうもなかった。

「特上天へぎのトリプル盛りとタレかつ丼大盛りのセット、タレかつは2枚追加の6枚でお願いします。」

へぎそば一人前が精一杯の雅樹とは違い、侑璃のオーダーは常にそんな感じで、食欲も華やか過ぎるのだ。

自分のオーダー内容に納得したのか、首を上下に二度ほど動かしてから、侑璃はゆっくりと話し始める。

「午前中、越後第一銀行の支店長さんが来られてました。」

淡々と事務的に話す侑璃も、雅樹を単に社長の頼りない息子としてしか見ていないようだ。

「支店長さんが直々にですか。」

雅樹の侑璃に対する言葉は、何だか遠慮がちである。

「どうやら、新潟市に本社がある建設業の会社との提携話が出てきているみたいです。その会社が不動産事業に進出したいとかで。」

雅樹は、その会社がS社ではないかと思った。

呑気で鈍感な雅樹であるが、最近の母の言葉の端端から、さすがに少しは感じるところがあったのである。

しかし、おそらく侑璃は、雅樹と綾香との関係を知らないであろうと思い、雅樹は冷静に尋ねる。

「我が社もいよいよ借金が返せなくなってきているのでしょうか?」

「そうですね、かなり資金繰りは苦しくなってきているみたいです。もちろん、すぐに倒産という段階ではないようですが。」

侑璃は、経理部長からも、必要な情報を得ているようである。

「専務と常務の反応は?」

「それが面白いように正反対でして、専務は絶対に拒否だと言い、常務は積極的に考えるべきだと言っていました。」

「どうして意見が分かれたのでしょう?」

「おそらく、専務は不動産担当なので、表向きは過去の損失分を自分の力で何とかしたいということのようですが、もしかしたら裏に何か別の理由があるのかも知れません。」

「別の理由とは?」

「分かっている限りでは不正経理とかはないようですから、ありそうなのは業者との癒着とかバックマージン、さすがにそれはないとは思いますが、反社会勢力との関係とかでしょうね。」

本当に侑璃は何でも知っているようだ。

「で、常務は?」

「常務は新潟市の会社と提携すれば商圏が広がって作業も合理化できるので大賛成とのことで、これは本音だと思います。それと、専務は正直言って能力が高い人ではありませんから、他社から経営陣が入ってきたら“社長代行”などと言うおかしな肩書は外されるでしょうし、場合によっては年齢的にも新経営陣から引導を渡されるかも知れませんが、常務は誰の会社になったとしても生き残る自信があるのでしょう。」

「確かに。」

雅樹は侑璃の冷静な分析に、いちいち感心するばかりであった。

侑璃の前にあった特上天へぎのトリプル盛りとタレかつ丼大盛りにタレかつ2枚追加のセットは、いつの間にか完食されている。

「では、今日はそんなところで。」

当たり前のように食事代の支払いを雅樹に任せて、侑璃は颯爽と去っていった。

「いよいよ何かが動き出すんだな。」

とてもランチとは思えない多額の支払いをしながら、呑気で鈍感な雅樹も、さすがに今からは気を引き締めなければならないと考えるようになってきた。

(つづく)

※これは普通盛りですが・・・。

 

登場人物紹介

・大宮侑璃(おおみや・ゆり 24歳)

N社の役員秘書で、窪塚専務と山田常務の双方を担当している。

実は、二人の役員の動向を知るために上川安子が送り込んだスパイ的な存在であるが、能力はかなり高いようで、いつも上川雅樹は翻弄されている。