リネージュ(Lineage)

~二つの会社と三つの家族の愛情物語~

第3回:経営者の顔

自分のマンションに帰宅する前に実家に立ち寄った中村綾香は、父・中村元彦の出迎えを受ける。

LINEどころか携帯電話のメール機能すら使えない父との連絡手段は、未だに昔ながらの電話しかないのだが、面倒なので直接訪問したのだ。

「おや、突然どうしたんだ。潤ちゃんたちに餌をあげているので、少し待っててくれ。」

「お父さんったら、鳥のことばっかり。」

しかし、妻を亡くした父が、今は鳥に夢中になるのも分からなくはないので、綾香はそれ以上責めることはせず、餌やりが済むのを待ってから、それとなく話を切り出してみた。

「上川雅樹さんの会社のことなんだけど、少し経営が苦しいみたいなのね。でも優秀な専務さんや常務さんも居られるようだし、不動産業もやっているから、うちの会社と提携したらどうかなと思うのだけど。」

綾香からN社のことを聞いた元彦は、単なる鳥好きの男から、たちまち経営者の顔に戻って言う。

「なるほど、確かに我が社にとってもメリットがあるかも知れないな。」

元彦は、1年半前に急逝したN社の元社長の上川道春とは、地域は違うが同じ新潟県の商工団体の役員としての交流があって、個人的にゴルフや海外旅行などに何度も行く程に仲が良く、会社に訪問しあったこともあるのだが、当時は専業主婦であった現社長の安子とは、道春の葬儀で姿を見かけた程度の関係でしかない。

しかし、N社を以前から知っていたからこそ、綾香が上川雅樹と交際していることに反対しないのだろう。

「考えてみてくれるのね。」

綾香の言葉に対して、元彦は試すような気持ちを持って言う。

「綾香は雅樹さんと結婚するつもりなのかい? それなら婚約を機に業務提携をしてもいいし、もし雅樹さんが会社を継ぐのなら、将来的には合併して一つの会社にしても良いのではないかとは思う。」

「いえ、結婚なんて今のところ考えてはいないし、雅樹さんもまだまだ勉強中だから。」

綾香は、会社のことと自分たちの結婚のことをどうリンクさせるかについて、今はまだ考えが纏まっていないのだ。

少し間を置いてから、元彦は言う。

「私はお前たちの幸せが一番大事だと思っているし、会社にとっても良い話であれば申し分ないのだが、ただ我が社は私だけの会社ではないからなあ。」

実はS社は、今から25年前、優秀な大工として自営していた元彦が、現在は専務取締役であり共同経営者でもある松本俊郎と、監査役になっている元県会議員の阪本武史に出資して貰って作った会社であり、元彦の出資株数は全体の3分の1しかないのだ。

つまり、元彦一人の意向では、S社全体の経営方針を勝手には決められないということなのである。

職人気質の元彦に代わって経営実務を担当している松本は、これまで基本的には元彦の方針に従ってきたが、数字に明るく合理的な考え方の持ち主なので、他社との提携となると納得させる理由が必要になりそうだし、阪本は慎重な性格であり、かつ以前の真田辰夫との問題で仲介して貰ったという引け目もあるので、綾香の彼氏の会社とは言え、赤字会社との提携の話を持ち出すのは容易ではないと元彦は考えている。

綾香も、それは分かっているし、まだ雅樹に話している段階ではないので、今は無理には押さないでおこうと思った。

「分かっているわ。雅樹さんにはまだ何も話していないし、彼の会社の都合もあるでしょうからね。」

翌日、元彦はS社で専務取締役の松本に、綾香が後継者と交際しているという事実を伏せて、N社の話を切り出してみた。

「専務、我が社が不動産事業に進出するにあたり、もちろん一から許認可を取って進めても良いのだが、長岡市のノーススターさんの不動産部門と提携するという方法は考えられないだろうか?」

「そう言えば、社長はノーススターさんの亡くなった上川社長とは親しかったですよね。確かその後は奥様が継がれていると聞いていますが、噂ではあまり経営状態が良くないとか。」

さすが、松本は情報に詳しいようである。

「私にはよく分からんのだが、赤字の会社と合併とかをすれば、我が社の節税にもなるのではないかと思ったし、何よりも既存の顧客があれば、綾香が一から立ち上げるよりもスムーズに不動産事業に進出できるのではないかと思うんだ。」

「社長はお嬢様思いですね。それではそれとなく情報を集めて調査してみましょう。ただ、阪本監査役を納得させるためには、かなり信頼度の高い情報と事業計画が必要になりますから、時間はいただきますよ。」

「分かった。この件はまだ誰にも内密なので、綾香にも今は言わないでくれ。」

元彦には、綾香に対しての出生以来の引け目があり、常に綾香のためを思って行動するのが当たり前になっているが、やはり会社というビジネスの場では、そればかりを言ってはいられないことを、元彦も分かっている。

しかし、合理主義者の松本が、この話に否定的ではなかったことには、少し安心するのであった。

(つづく)

登場人物紹介

・中村元彦(なかむら・もとひこ 59歳)

元は腕の良い大工で、25年前に現専務取締役の松本と現監査役の阪本からの出資協力を得てS社を立ち上げて代表取締役となり、順調に業績を上げてきているが、最近では自分の出資持分が3分の1にとどまっていることに、不便を感じるようになってきている。

30年前に長男秀彦を3歳で亡くし、その後は養女の彩香の成長だけを楽しみにしてきたが、1年半前に亡くなった妻の依子には、最後まで彩香が養子ではなく実子であるという真実を告白することができなかったことを悔やんでいる。

・松本俊郎(まつもと・としろう 55歳)

中堅ゼネコンの経理部に勤務していたが、当時は発注先の大工という立場であった中村元彦がS社を立ち上げる際、経営管理担当役員として協力するよう求められ、それ以来、共同経営者としてS社の発展に尽くしてきた。

経営者としては非常に優秀で、S社の内容は中村元彦以上に熟知しているが、自らが代表者となろうとする考えは全くなく、60歳くらいで引退する予定にしているらしい。