震災復興&歴史発掘ファンタジー
「ストロベリーランナー ~亘理伊達開拓団からのメッセージ~」
第15回:葛藤
斎藤信幸は、3.11から1ヶ月が過ぎ、周囲の友人たちが徐々に前向きな気持ちを持ち始めていることを知るようになり、さらに日々思い悩んでいた。
両親の苺畑は無くなってしまったのでもう戻れないし、まだ手足の傷が完全には治っていないので、雄太のように土木作業員になることもできない。
しかし、信幸にはそれ以前に、一瞬にして両親を奪い去った津波の跡地に立ち向かう勇気を持つことが、どうしてもできないのである。
そもそも信幸は、あの日以来、この避難所から一歩も外に出ていないのだ。
未だにテレビで“宮城県亘理町の3.11”として時々流されている、常磐自動車道に迫り来る大津波と、間もなく津波に呑み込まれる運命にある道路をまだ走っている車の映像を目にする度に、あの恐怖が蘇ってきて、ますます外に出ようとする決意が揺らいでしまうのだ。
実際には、この避難所に居れば、衣食住は足りているし、ボランティアが全部世話してくれるので、何も考えなくても生きて行くことはできる。
しかし、そんなことがいつまで続けられるのかは分からない。
信幸の所に今日も柴田里美がやってきた。
里美は、自分が姉の支倉智美と共にFMあおぞらでレポーターをするのが決まったという前向きな報告が、信幸に対して少しでも励みになると思ったのだが、まだ信幸の心はその段階までも回復していなかったようである。
反応の鈍い信幸に対して、里美はついつい厳しい言葉を発してしまう。
「いつまでも甘えていてどうするの? みんなそれぞれ頑張っているんだよ。信幸も頑張りなさい。」
だが、里美の“頑張れ”という言葉は、かえって信幸の傷んでしまった心を追い詰めるばかりであった。
心理学的な見地からは、悩んでいる人に対しての“頑張れ”という言葉は禁句であると、里美は桜木司織から教えられていたのであるが、そのことをすっかり忘れて、自分の感情のままにその“禁句”を口にしてしまった里美は、あとで深く後悔することになる。
村山広絵が持ってきた町役場の臨時職員の話にも、信幸は取り合おうとはしない。
「怪我の具合が思わしくないから、今は無理だよ。」
「何言ってるの、その程度の怪我の人なんて幾らでも居るわよ。」
自分の顔の傷に素手で触れられたかのように、広絵は珍しく大きな声で信幸を責めた。
「じゃあ、どうしろと言うんだよ。俺は何もかも全部失ってしまったんだぞ。」
この言葉が単なる言い訳に過ぎないことも、また他のもっと不幸な身の上の被災者に対して失礼な言葉でもあることも、信幸は全て分かっているのだが、幼馴染の広絵には甘えてしまっている気持ちがあるのだろう。
互いに適切な言葉が見付からないまま、暫く沈黙が続く。
そして、気を取り直した広絵は、落ち着いた口調で言う。
「信幸には苺畑がお似合いだったわ。もう一度“わたりっこ”を食べさせてよ。」
「苺畑かぁ。懐かしいなぁ。」
信幸は、遥かに遠い昔の話であるかのように言う。
まだ3.11から1ヶ月余りしか経過していないのだが、普通の暮らしをしていたのが遥かに遠い昔であるかのような感覚になっているのは、必ずしも信幸ばかりではなく、次の目標が見えない人たちに共通した現象なのであった。
広絵は、信幸がどう感じるか判断が付かなかったのだが、敢えて信幸がライバルと考えているであろう田村正章の話をした。
「正章さんは、苺栽培を復活させるためのプロジェクトをスタートしたそうよ。」
やはり信幸は反応しない。
広絵は、信幸が合格できなかった東北農業大学を卒業して、今は大学院に進んでエリート研究員になっている正章の話をすべきではなかったかと反省しているが、信幸にはそのような嫉妬を感じる余裕すらないようだ。
そして信幸はポツリと言う。
「そう言えば、繁爺はどうしているんだろうな・・・。」
広絵は、繁爺という言葉が出てきたことで、信幸もいつかは苺栽培に戻ってくれる日が来るのではないかと、少しだけ淡い期待をするのであった。
(つづく)
※被災数ヶ月後のJR常磐線亘理駅です。