震災復興&歴史発掘ファンタジー

「ストロベリーランナー ~亘理伊達開拓団からのメッセージ~」

第7回:3.11 広絵と雄太

その時、村山広絵は、いつもの通り、亘理町役場本庁舎2階にある商工観光課に居た。

突然に襲う大きな揺れ、生まれて初めて経験する大きな地震に、広絵は最初は何が起こったのかすら分からない。

程なく揺れは拡大し、机の上からパソコンや書類が飛び散るが如く宙に舞う。

大きな本棚が倒れてくる。

役場の庁舎は古い鉄筋造だが、広絵は“建物が倒れる”と直感した。

そして階段を駆け下り、外に出ようとした時、割れて飛んできた大きな窓ガラスが、広絵の顔の左側を直撃する。

広絵が意識を取り戻したのは、それから数時間後、庁舎近くに急ごしらえされた仮設診療所の、野戦病院のような混乱の中であった。

気を失った広絵を、後から階段を下りてきた上司が助け上げ、ここに連れてきてくれたらしい。

その時、広絵が最初に思ったのは、自分は怪我をしてしまって、この混乱の中で何の役にも立てないばかりか、むしろ周囲に迷惑を掛けてしまっているという、言い知れず込み上げてくる悔しさであった。

「公務員はどんな時でも人の役に立つためだけに存在するのだ。」

昨年に定年を迎えた父が、幼い頃からの広絵に言っていた言葉、広絵の人生の選択肢に公務員以外の職業が一度たりとも加わることがなかった原因を作り出した言葉を、今また思い出す。

「こんな時に人の役に立てない公務員なんて・・・。」

数日後、広絵は傷付いてからの自分の顔を初めて鏡に映してみた。

そして、飛び散ってきた窓ガラスと割れた眼鏡のレンズとが作った、深くて大きな傷をしっかりと目に焼き付けながら広絵は思った。

「この傷は一生治らない。」

広絵は何故か諦めにも似た冷静な気持であった。

しかし逆に、これで自分は生涯を公務員として、父の意思を受け継ぎ、人の役に立つためだけの人生を送ろうと決意できたのかも知れなかった。

亘理町役場は、亘理町の中では内陸部にあるので、辛うじて大津波の被害だけは免れていた。

太平洋から襲い掛かり、阿武隈川の河口で川の流れと激突して大きく跳ね上がった津波は、荒浜や浜吉田といった沿岸部の集落を一瞬にして飲み込んだ後、町の東側3分の1くらいの位置を走る常磐自動車道の築堤に阻まれて、その勢いを衰えさせたのである。

しかし、浜側から逃れようと車で走っていた人たちは、当時は一本しかなかった山側に通じる道路の大渋滞のため、多くが逃げ遅れてしまった。

その時、まさに大津波に呑み込まれることになる荒浜地区に居た坂口雄太は、いつもの通り早朝からの漁を終え、ゆったりと漁網の手入れをしていた。

しかし、漁師の勘なのか、揺れの少し前に、港の水面が何やら異様な動きをしているのに気付いていた。

「これは、おかしいぞ・・・。」

雄太は、すぐに立ち上がって、両親の居る自宅の方に走り出した。

生まれて以来ずっとここで漁師をしている雄太の父は、落ち着いて言った。

「必ず大きな津波が来る。とにかく逃げよう。」

雄太は港に繋養してある2隻の船が心配だった。

特に、分不相応な金額に及ぶ大きな借金をして購入し、いよいよ明日、初出航させる予定だった“俺の船”が。

母を連れて車に乗ろうとする雄太に向けて、父は叫ぶ。

「走れ!車はダメだ!」

経験豊富な父は、この後にどのような事態が訪れるか、既に予測していたのである。

そして本震が襲ってきた時には、もう雄太一家三人は、家から持ち出した最小限の品々だけを手に、町の方向に向けて懸命に駆けていた。

そして常磐自動車道を過ぎた後、海の方を振り返った雄太は、世にも恐ろしい光景を目にすることになる。

“俺の船”はもちろんのこと、100隻以上あった荒浜港の漁船の全てが、想像すらしたことのない巨大な津波によって空高く舞い上がり、そして真っ黒な水面に次々と落とされてゆく。

家も、木も、車も、そして人々も、自分たちがこの亘理で積み重ねてきた全てが、たった1回の大津波によって奪い去られてしまったと雄太は思った。

(つづく)

※荒浜地区から見た大津波の現場です。