鴛鴦(えんおう)“OSHI-DORI”第5章 有限会社六川デザイン建設の巻

第5話:借金踏み倒しのススメ

翌日の月曜日、緑野真凛と青芝優也は、経営状態や資金繰りをさらにチェックするため、R社に来ている。

しかし、スタッフには昨日までのことは極秘であるから、今日は六川弥次郎社長が体調を崩して休んでいることと、次女の坂上栄子が一時的に手伝うために復帰することを伝えただけということから、専門家が二人も来ているとは知られないよう、優也の提案で、いつもは弥次郎だけが使っている社長室に二人は籠って作業をしていた。

社長室に案内してきてくれた栄子の母でR社取締役でもある六川初子が立ち去ってすぐ、優也は部屋の中を見回している。

「何か探しているの?」

真凛の問いに優也は答える。

「弥次郎社長の趣味嗜好を調査しておこうと思っているんだ。」

「そうか、ジョイニングね。」

ジョイニングとは、相手が好きそうなテーマを事前に勉強しておいて、相手の世界の話の中に入り込むという心理学の手法の一つで、前回の仕事では優也が大いに活用していたのであった。

「例えばゴルフのトロフィーとか、釣りの魚拓とかが飾ってあったり、あるいは野球やサッカーのチームのグッズが置いてあれば、そこから話題を合わせることができるんだけど、今のところ何も見付からない。」

「そうね、優也さん、前の仕事では鮮やかにジョイニング決めてたもんね!」

「やっぱり年代が違うから、難しいのかな。」

そんな時に、真凛が書棚のガラスケースの中にある、家の模型みたいなものを発見して言う。

「これ、凄く精密な家の模型だよ。もしかして六川社長さんは、模型作りが趣味なのかも!」

しかし優也は落ち着いて言う。

「いや、これは建築模型と言って、建物の注文を受けた時にサンプルとして作るもので、趣味の品ではないんだよ。」

「そうかぁ。せっかく見付けたって思ったのに残念。」

「この模型は専門の会社が作ってるんだ。ほら、ここに書いてあるだろ。製造元・株式会社トレイン&ストラクチャーって。」

「トレインって、電車のことでしょ?」

「きっと建築模型と一緒に鉄道模型も作っている会社なんだろうね。」

真凛は何となく気になったので、その建築模型の写真を携帯で撮影している。

そんな時、初子が慌てて社長室に入ってきた。

「大変です。来月に新規契約の予定だった会社に、主人が勝手に電話して契約を解除するって言ったらしいんです。」

真凛と優也は、しまったと思った。

確か弥次郎は、市役所の変な法律相談員から、“これから破産する会社が新規の契約をしちゃダメ”“そんなことしたら詐欺罪になる”と言われていたと聞いていたが、そのことについて弥次郎に注意をしていなかったのだ。

初子が話を続ける。

「幸いなことに、その会社の社長は私の友達のご主人だったので、何だか電話の様子が変だったけど大丈夫なのかって、私に知らせてきてくれたので良かったです。」

真凛は言う。

「社長は生真面目なので、詐欺罪になるという言葉に引っ掛かってしまわれたのですね。私たちが迂闊でした。申し訳ありません。」

「大丈夫です。主人は病気で高熱があって、気が動転していたんでしょうということで誤魔化して、すぐに大神さんに行かせましたから、契約解除ということにはならないと思います。」

「それなら良かったですが、社長の行動には注意を払っていてください。」

「と言いましても、私も栄子も会社に来なければならないので、ずっと見ているという訳にはいきませんから。」

「そうですよね。では、とりあえず私たちが栄子さんと一緒に社長にお会いして、それとなく話をしてみますね。」

ここで優也が言う。

「今はあまり大勢でプレッシャーを掛けるのは良くないだろうし、僕はここで分析を続けるから、社長さんとは栄子さんと二人で会ってきた方がいいと思うよ。」

ということで、真凛は栄子と二人で弥次郎に会うことになった。

弥次郎は、自宅の居間におり、昨日と比べると随分と顔色も良く、元気になっている感じだったので、真凛は安心した。

「マリンさんでしたかな。昨日はお恥ずかしいところをお見せしてしまったようで、大変失礼しました。」

「いえ、少しお元気になられたようで、嬉しいです。」

「先ほど、来月受注予定の会社に、私が勝手に契約解除の電話をしてしまったことで、こっぴどく妻に叱られまして、これではいかんと、私もいろいろ考えたんです。」

そしてその後、真凛は、弥次郎から想定外の言葉を聞くことになる。

「ところで、マリンさんは司法書士さんですから、会社の設立登記などもやっていただけるのですよね?」

真凛は、話の筋が読めず戸惑っているが、とりあえず答える。

「はい、まぁ、必要であればやりますが。」

「それでは、妻か娘の名義で新しい会社を一つ作っていただけませんか?」

「えっ、何のために、ですか?」

すると弥次郎は話を始めた。

「はい。新しい会社に営業譲渡という方法で事業を全部移してから、今の会社を倒産させれば、借金はチャラになるんですよね?」

「そんな簡単な話ではないと思うのですが。」

「いえ、そうなんです。とにかく一日も早く、新しい会社を作ってください。」

ここで栄子が口を挟む。

「お父さん、そんな簡単に借金がチャラになるんなら、誰も苦労はしないわよ。司法書士のマリンちゃんが違うって言ってるんだから、ちょっと冷静になったら。」

そして栄子が弥次郎から話を聞いてみると、どうやら弥次郎は、勝手に新規受注先に電話をして契約解除の話をしたことを妻の初子から責められてから、フラっと町に出掛けて、本屋に立ち寄り、ある本を見付けたらしい。

その本のタイトルは“カネを貸すバカ・返すバカ!借金踏み倒しのススメ”という、とんでもないもので、著者も兼狩正義(かねかり・まさよし)というふざけたペンネームであるが、確かにその刺激的なタイトルが一部で話題になり、そこそこのベストセラーになっていることを、真凛は小耳に挟んだことがあった。

弥次郎は言う。

「この本には、借金をチャラにする方法がいろいろ書かれているんです。これだけ売れている本ですから、間違っている訳がない。マリンさんはお若いから知らないだけなんでしょう。」

栄子が大きな声を出す。

「司法書士さんに向かって失礼でしょ!」

しかし真凛は、どんな理由であれ、弥次郎の気持ちが倒産ではない方向に向いたことは大事にすべきと考えたので、栄子の言葉を抑えて、落ち着いて言う。

「分かりました。それも一つの方法として検討してみましょうね。会社は栄子さんが、現場は大神さんが何とか上手くやっておられますから、社長さんはとりあえず今週いっぱいくらいは自宅で休養なさってください。その間、この会社の将来について、ご家族と一緒にいろいろと考えましょう。」

弥次郎は、自分の提案を真凛が否定しなかったので、落ち着きを取り戻したようであった。

(つづく)

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※建築模型!あんまり精密にできているから、マリン感心しちゃったわ。そう言えば今回初めての明るい写真ね!!