鴛鴦(えんおう)“OSHI-DORI”

第5章:有限会社六川デザイン建設の巻

第1話:夜逃げ騒ぎ

合同会社CS-NETS、いや現在では社名を変更して合同会社フェザーンとなった会社の仕事が一段落し、いよいよ緑野真凛と青芝優也との個人的関係が画期的に進展するかと思われた瞬間、待っていたかのように新たな仕事が二人に依頼されることになった。

ロックハート城でのデートからの帰りの車中、真凛と優也の間にロマンチックなムードが漂う真っただ中で、真凛は高校時代の同級生であった六川栄子、いや今は結婚して坂上と姓が変わっている女性からの電話を受けたのだ。

「マリンちゃん、大変なことになってるの。相談を受けてくれるかな?」

「どうしたの?」

「父が今から夜逃げするって大騒ぎして。」

「えっ!」

夜逃げという言葉を聞いて真凛は驚いたが、横の運転席には優也が居るので、その言葉を繰り返すことは避けていた。

真凛は法律的な守秘義務が課せられている司法書士なので、例え個人的に親しいパートナーの優也にであっても、相談者の許可なく秘密を漏らすことはできないのだ。

ましてや夜逃げとなると、おそらく深刻なプライベートに関わる問題が存在しているに違いないから、なおさらである。

栄子の父である六川弥次郎は、高崎市の北部の方で有限会社六川デザイン建設(R社)という会社を経営している一級建築士であるが、栄子の話によると、不渡手形を掴まされて資金繰りに詰まり、もう夜逃げしかないと先ほどまで騒いでいたらしい。

栄子は話を続けた。

「とりあえず父にはお酒を飲ませて眠らせてるんだけど、明日にでも来て欲しいの。」

「分かったわ。とりあえず揃えられるだけの資料を揃えて、可能なものは先にメールで送って。今からすぐにチェックするから。」

マリンの“今からすぐにチェック”という言葉を聞いて、優也も事態を察したようで、部屋に一人で戻って行く真凛の後ろ姿を眩しく見つめることになった。

その翌朝、優也は真凛からの連絡を受ける。

「昨夜はゴメンなさい。」

「ううん、分かってるよ。緊急事態だろ?」

「そうなの。」

真凛は、昨夜の電話の相手であった坂上栄子の許可を得て、優也にも協力してもらうことになったと告げる。

「よし!昨夜はお預けを喰らっちゃったけど、気を取り直して心機一転、もうひと頑張りするか。」

しかし、真凛の話は深刻な内容であった。

R社は、宮大工の家の次男として生まれ、特殊な技術を持っている六川弥次郎が、“上州の匠・弥次郎の店”というブランドで、ちょっと変わった形状の店舗の設計と建築をすることを業としており、今は栄子の父の弥次郎と母の初子が夫婦で取締役となって経営している。

真凛の高校時代の同級生であった栄子は、今は専業主婦になって直接には関わっていないが、以前はR社で経理事務をしていたので、経営的な問題は全くないと思っていたのに、急に母から呼び出されて、実家に行ってみたら夜逃げの話になっていて驚いたという。

そして取り乱す父を宥めて寝かせてから、母を通じて事情を聞いてみると、先般に竣工した建物の発注者である旧知の会社から代金として受け取っていた多額の約束手形が不渡りとなり、今月末の仕入代金の支払いや銀行への返済などができなくなってしまって、真面目な弥次郎は夜逃げしかないと思い込んでしまったということらしい。

真凛は言う。

「詳しい事情は分からないんだけど、私が見る限りでは、今月末の支払いさえ少し待ってもらえば何とかなると思うの。来月には新規の受注もあるみたいだし。」

「でも、お友達のお父様が夜逃げだなんて、これは深刻な問題だね。何とか力になってあげたいよな。」

優也は、R社から送られてきた資料を再チェックし、真凛の分析が間違いなさそうであることを確認してから言った。

「マリンちゃんの言う通りだ。確かに来月の新規受注で着手金などが入れば、数ヶ月は苦しいけど、何とか乗り切れそうな感じだね。」

「やっぱりそうだよね。」

「それに、今はバブル崩壊後の不良債権時代とは違って、銀行も少しくらいなら協力してくれる時代になっているし。」

真凛は、不良債権時代という言葉を聞いて、以前に経験した温泉旅館での話を思い出していた。

「そうね。もし今があの頃だったら、この会社も容赦なく潰されていたんでしょうね。」

「そうだよ。あの頃なら、社長さんだけじゃなくって家族全員、主要な従業員まで全員破産だったかも知れない。」

「本当に、今の時代で良かったということなのね。」

「それに今は民事再生とか任意の債務整理とか、破産以外の方法もあるんだろ?それなのに、どうして六川社長はいきなり夜逃げって考えになったんだろう?」

「とりあえず今から会社に行って、まずは栄子さんとお母様の初子さんのお話を聴いてみるわ。優也さんも来てくれるわね?」

「もちろん、ご一緒するよ。」

こうして二人は、昨夜に甘いムードの中で北から南へと走ったばかりである三国街道の逆コースを辿って、高崎市の北の外れにあるR社の本社近くに建つ六川家に向かっていた。

「この道をこのまま行けば伊香保温泉だね。」

真凛の言葉に優也が答える。

「懐かしいな。僕たちの最初の仕事で何度も来たよな。」

「この仕事が成功したら、また一緒に行こうね。」

真凛の言葉に、優也は必ずR社の仕事を成し遂げようという闘志を漲らせていた。

そして二人は六川家に到着した。

真凛が栄子と会うのは、3年ほど前の同窓会以来で、その後に栄子は結婚してR社を退職、専業主婦になっている。

「マリンちゃん、こんな形で再会することになるなんて。」

真凛にとって、久しぶりに見る栄子は、すっかり主婦らしくなっているように思えた。

「栄子ちゃんが専業主婦だなんて、びっくりしちゃったわ。ずっと仕事を続けるって思ってたから。」

「そうね。先を越して悪かったかな。でも、私が会社に残っていたら、こんな事にはならなかったと思うので、悔しいの。」

「悔しいって?」

そこで弥次郎と妻で栄子の母であり、R社の取締役でもある六川初子が話し始める。

「私が一番いけなかったと思うんです。主人は真面目で一本気な性格ですから、変な人の言う事を真に受けてしまって・・・。」

「変な人、ですか?」

「はい、おととい金曜日の夕方に手形不渡りの通知を受けまして、主人が取り乱していたものですから、私がつい、毎週土曜日にある市役所の無料法律相談に行こうと薦めてしまったのが間違いだったのです。」

真凛は、初子の言っている言葉の意味が最初は分からなかった。

(つづく)

 

登場人物紹介

坂上栄子(さかがみ・えいこ 26歳)

緑野真凛の女子高時代の同級生で、高校卒業後は父が経営するR社に入社して経理を担当していたが、2年前に地方公務員の夫・坂上義男と結婚、退職して専業主婦になっている。

他の同級生からの噂を聞いて、真凛が司法書士になっていることを知り、相談してきたらしい。

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※不渡手形!でも社長さん、夜逃げなんて考えないで、一緒に頑張ってみようね。マリンたちがついてるから!!