マリンの部屋番外編:5分間動画シリーズの解説 最終回

第11回の解説よ!

今回は「遺留分制度を考える」。

サブタイトルが「法律界最大のタブーに迫る」って大袈裟そうに見えるけど、実は本当にそうなのよ。

少なくとも、知っている限りでは「遺留分制度はおかしい!」「廃止すべきだ!」って言っている法律関係者の人は一人も居ないし、まさに「この話題にだけは絶対に触れてはいけない」って感じで、とっても不思議な状態になっているの。

この問題は、とっても根が深いから、簡単に解説できるものではないんだけど、問題提起と情報提供だけはしておくので、あとは各自が「自分の頭」で考えてみてね。

遺留分の説明として、よく使われている言葉は「一部の相続人から決して奪うことができない権利」ってことなんだけど、意味わからないよね??

だって、請求する人の普段の行状とか、亡くなった人の気持ちとか願いとかに全く関係なく一律に認められる権利だなんて、親を大事にしない親不孝者や、籍だけ残して相手が死ぬのを待っているみたいな「居座り配偶者」が得するだけで、親孝行で真面目な子から見たら不公平そのものだし、普通に考えてもおかしいと思いそうなのに、法律家と呼ばれる人たちは誰も声を挙げないで、何故か「タブー」になってしまっているの。

実は、少し前に民法が改正されて、今では「遺留分侵害額請求権」って言って、とりあえず現金を請求できるだけの権利になっているんだけど、それまでは「遺留分減殺請求権」っていう、とっても怖い名前で、請求さえすれば問答無用で全ての相続財産が共有状態になってしまうという、「形成権」と呼ばれる、とんでもなく強大な権利だったのよ。

民法の条文だけを見れば、そこまで強い権利みたいには読めないのに、何故か裁判所が遺留分権利者に有利な判決を連発して、いつの間にか「形成権」にしてしまったという経緯があるんだけど、さすがにそれはおかしいと思う人も出てきたのか、少しだけ改善されたということね。

それでも一方的に請求すれば現金が取れてしまうという、異様に強い権利であることには違いないの。

遺留分制度を支持する人たちは、だいたい同じことを言うの。

きっと自分の頭で考えたんじゃなくって、何処かの偉い先生の本にでも書いてあるんだと思うんだけど、これも普通に考えたら全部おかしいと思わない?

遺族の生活保障なんて「家制度」のない今の時代にはナンセンスな話だし、「相続人の公平・平等」っていうのは日本国憲法の趣旨を履き違えてる詭弁としか思えないし、ましてや「脅かされて遺言を書かされたらどうする」なんて議論のすり替え以外の何物でもないわよね。

で、どうしてこんな発想が出てくるのかって言うと、これは想像なんだけど、おそらく我が国の民法が、ナポレオンが作ったフランス民法をベースにしているから、偉い先生方が変な思い込みをしているせいだと思うの。

だって、フランス民法の考え方は、個人の財産であっても死後の行方は国家が決めることであって、個人が勝手に決めることができる範囲は限定されているっていう前提だから、相続になった瞬間に、亡くなった人の財産は自動的に国が決めた法定相続人のものになっていて、その例外措置として「財産の一部だけ」については遺言で決めることを許そうってことみたいなのね。

フランスは、国旗に描かれているみたいに自由・平等・友愛の民主的な国家だと思っていたんだけど、この民法の規定だけを見ると、まるで独裁国家みたいで、違和感バリバリだと思わない?

ちなみに英米法の世界では、遺留分どころか法定相続制度自体が存在していなくて、自分の財産の行方は自分自身で決める、決めなかった時だけ法律が登場するっていうルールが徹底しているから、根本的に考え方が違うのよ。

ここで我が国の遺留分制度の歴史を考えてみようね。

これを知ると、みなさんも遺留分に対する考え方が変わるんじゃないかって、少しだけ期待しているんだけどな。

別の動画で「田分け」の歴史を話した時に言ったと思うんだけど、明治民法では正式に「日本は家督相続の国である」って決めたの。

つまり、財産は個人のものではなくって「家」のものってことになるよね。

そうすると、例えば家の主である「戸主」が遺言でもって外部の人に財産を与えてしまったら、「家の人たち」全員が困ることになるから、次の戸主であり、「家の人たち」全員を扶養する責任を担う立場である「家督相続人」が、外部の人に対して「半分返して」と請求する権利が遺留分制度だったの。

これなら遺留分制度にも正当な意味があるし、問題なく運用されていたと思うのね。

実際、家督相続の時代は現代みたいな「田分け」ではないから、醜い相続争いもないし、ついで言うと「隠居制度」があって生前に相続を済ませることができたから、今で言う認知症問題も存在しなかったのよ。

もちろん「家制度」には女性の権利が制約されているなどの問題点は多々あるけど、今の法律専門家が思っているような「憎むべき旧時代の悪慣習」だとばかりは言えないと思うの。

ところが昭和22年、日本国憲法公布に併せて改正された新民法では、まさに「田分け」の制度を復活させてしまい、さらに本来は廃止すべきだった遺留分制度と、後から話す「持戻し」制度を残してしまったのよ。

その結果、遺留分制度は主役である請求権者が「家を守る人」から「家から財産を奪いたい人」に変わっちゃったので、制度自体がおかしな方向に向いてしまって、さらに近年になって変に権利意識が高まってきたので、無用な紛争の原因になっていると思うの。

でもね、日本国憲法の趣旨は「個人財産制」で、かつ「所有権絶対の原則」があるんだから、財産所有者には、遺言書1枚で相続財産の行方を決める権利があって当然なんじゃないのかしら?

それに、そもそも日本国憲法はアメリカ主導で作られた「英米法」なんだから、民法だって英米法的に改正されるべきだったのが、そこだけ中途半端になっているのね。

その意味から、遺留分は憲法違反とも言えるものじゃないかと思うんだけど、何故だか法律関係者は誰一人としてそうは言わないのが不思議でたまらないわ。

そしてもう一つ、遺留分権利者を応援する結果にしかなっていないのが、この「持戻し制度」なの。

これは、財産所有者が自分の意思で生前贈与とかをしたとしても、それは否定されて「相続財産」に戻されてしまうって制度なんだけど、要するに遺留分権利者が得をするだけの仕組みで、やっぱり「個人財産制」を無視して、さらに本人が自分の意思でした契約を否定するんだから、民法の大原則の一つである「契約自由の原則」も無視した考え方なんだよね。

しかも、ここでも何故か裁判所は遺留分権利者ばかりを贔屓して、特別受益は当たり前に認めるのに、親孝行した人が余分に貰えるという「寄与分」とか、悪辣な相続人を外す「廃除」とかは頑なに認めようとしないの。

でも一般国民は、そんなことは知らないから、いざ相続になって、親不孝者や居座り配偶者が権利を振り回して財産を奪いに来た時に初めて「遺留分」や「持戻し」の問題に気付くってことになって、結局は泣き寝入り、要するに正直者が馬鹿を見るって結果になっちゃうのね。

こんなとんでもない遺留分制度と持戻し制度なんだけど、法律の専門家は「相続法は強行法規なんだから仕方がない」って言うのね。

でも、民法の条文の何処にも「これは強行法規です」なんて書いてはいなくって、勝手に解釈されているだけなんだよ。

もちろん、親子関係や夫婦関係を決める「親族法」は強行法規であるべきなのかも知れないけど、相続法は財産に関することなんだから、強行法規であるって根拠も理由もないと思うわ。

もちろん法律を変えて遺留分や持戻しを廃止できればベストなんでしょうけど、それはなかなか難しいから、まずは民法以外の法律でもって遺留分に対抗しようってことで、親愛信託が使えると思うの。

現に生命保険は「相続ではない」って確定判決を取っているんだから、相続法が強行法規でないとするなら、当然に「契約自由の原則」が勝つということになるのね。

でも、今の段階で、信託と遺留分に関する裁判所の判例は一つもないの。

おそらく現時点では裁判官さんも弁護士さんも信託のことをよく分かってはいないから、まだ判決を出したくないって感じがあるのかもしれないとも思うな。

ただ、巷では「信託が遺留分に負けた判決がある」っていうデマが流れているから気を付けてね。

そのデマは、ある地方裁判所の判決文を誤解か曲解して流されているんだけど、その訴訟はそもそも遺留分の訴訟ではなかったし、その後に高等裁判所で全然違う内容の和解が成立して終わっているので、判例でも何でもないのよ。

だから、信託と遺留分の関係については、今後の裁判所の判断を待つことになるんだけど、親愛信託を推進する私たちとしては、可能な限り理論武装して、生命保険と同じように適切な判決を取れるよう頑張らなくてはならないと思っているの。

最後にもう一度、遺留分制度や持戻し制度について語ることを「タブー」と思わないで、各自が自分の頭で、その是非や親愛信託との関係について考えて欲しいと願っているわ。

※天下の悪法!でも生類憐みの令は動物愛護なんだから、良い部分もあると思うの。その点、遺留分制度は何一つ良い部分がない本当の悪法だと思うんだけど!!

マリンの部屋番外編:5分間動画シリーズの解説は、とりあえず今回で完結。

明日からは「鴛鴦(OSHI-DORI)」第5章がスタートするよ!!