マリンの部屋番外編:5分間動画シリーズの解説第6回

第6回の解説よ!

今回は「成年後見制度を考える」。

成年後見制度に関しては、最近では問題点ばかりが指摘されるようになって、信託を薦める人たちの中の一部は「成年後見制度を回避するために信託をしましょう」みたいなことを言っているみたいで、それに成年後見制度推進派の人たちが反発して仲違いしているみたいなんだけど、本来はそういう話ではないと思うの。

サブタイトルにあるように、確かに今の成年後見制度には数々の問題点があるけれど、それは制度自体が間違っているのではなくって、使い方に間違っている部分があるということを指摘したいのと、成年後見と親愛信託とは対立するものではなくって併用すべきものだってことを言いたいのよ。

成年後見制度は社会にとって必要な制度であることは間違いないと思うの。

認知症や精神障がいとかで、自分自身で判断ができなくなってしまった人たちの財産と生活を守るために、後見人という人が本人の代わりにいろいろなことを決めてくれたり、本人が間違ってしてしまった契約を後から取り消してくれたりする制度なんだから、言ってみれば未成年者に対する親権者みたいなもので、必要であることは当然よね。

それで、本人の状態に応じて「後見」「保佐」「補助」の三段階に分かれていて、それぞれ「後見人」「保佐人」「補助人」と呼ばれる人が付くんだけど、権限の内容が違うのね。

つまり、本人に残されている能力次第で、代わりの人がどこまでお世話をすべきかが決まるって感じかな。

ところが最近は、ほとんどのケースが「後見」っていう一番重たい類型になっていて、「保佐」とか「補助」のケースは減っているみたいなんだけど、これって少し変な感じがするな。

で、後見人とかは基本的には、本人が認知症とかになっちゃった後で、親族が申し立てをして家庭裁判所が後見人とかを決めるって仕組みになっていて、これを「法定後見」と言うのね。

そして、それとは別に、本人が元気な間に将来の「後見人候補」を決めて、事前に契約をしておくという「任意後見」という仕組みも認められているの。

任意後見制度は、法定後見制度とは違って、本人と将来の後見人候補者が、公証役場でもって締結する契約なのよ。

で、後見という言葉だけを聞けば、任意後見人は法定後見人と全く同じ権限を持っていそうに見えるんだけど、実は我が国の制度は諸外国とは違うところがあって、任意後見人ができる範囲は「代理権目録」というもので相当小さく限定されているし、しかも家庭裁判所が決める「任意後見監督人」という人が常に監視することになるから、実質的には「後見」というより「代理人」の延長みたいな感じにしかならないの。

だから、我が国ではあまり普及していない感じがするんだけど、本人が将来の後見人候補を決めておけるっていうのは、本人の意思を尊重できるという意味では重要だし、任意後見制度には、親愛信託との併用も含めて、様々な活用法があるから、是非とも覚えておいてね。

さて、歴史のお話をするね。

成年後見制度がスタートしたのは2000年、それまでの民法には「禁治産」「準禁治産」っていう変な言葉の制度があって、重度の精神障がい者さんとか浪費者さんは保護されてたんだけど、認知症の人に対する保護がなかったのね。

それで当時、悪質商法が横行して、認知症になった高齢者さんたちが騙されるって事件が多発したんだけど、大の大人が自分で契約をしている限り、取り消すことはできないから泣き寝入りみたいになってたの。

そこで海外で行われている成年後見制度を我が国にも持ってこようという動きが出てきたことと、同じ頃に介護保険制度を導入しようという動きがあったこともあって、2000年4月、「措置から契約へ」っていうキャッチフレーズで、介護保険と成年後見が同時にスタートして、「車の両輪」って言われていたの。

でも、考えてみたら、そのキャッチフレーズから言えば、本当の意味での後見制度は裁判所が決める法定後見ではなくって、本人が契約で決める任意後見じゃないのかって思うんだけど、後見は法定後見が当たり前になって、「車の両輪」って言葉も全然聞かなくなっちゃったわね。

そう言えばって感じなんだけど、成年後見制度がスタートした頃のキャッチフレーズは「自己決定権の尊重」「残存能力の活用」そして「ノーマライゼーション」だったのよ。

これって、後見人が何でもかんでも代理してしまって、本人は後ろに引っ込んでなさい、みたいな今の後見制度の運用とは全然違うし、最近では耳にすることもなくなってて、完全に「死語」になっちゃったようだわね。

しかも、昔の「準禁治産制度」では保護されていた浪費者の保護がなくなってるとか、本人の死亡と同時に後見人が居なくなって、その後の手続きができないとか、制度的な問題が数々と指摘されるようになってきたの。

そして決定的に成年後見制度の問題点が露呈して、社会的信頼を失ってしまう契機になったのが、「後見人の横領事件」なの。

最初の頃は、家庭裁判所は家族を後見人に選んでいたんだけど、後見人に選ばれなかった家族とかが「後見人が横領している」とか騒ぎ立てることが増えてきたのね。

でも同居している家族だったら、親の財布も子の財布も実質的には一緒なんだから、要するに親の世話をしないで相続財産を狙っているような人たちが文句を言っている感じだったのかしら。

刑法にも「親族相盗例」って規定があって、同居の親族なら例え窃盗をしても罪にはならないってことだから、本当は家族後見人に「横領」なんて概念はないと思うんだけど、やっぱり家庭裁判所はクレームが面倒だったのか、徐々に家族ではなく専門家を後見人に指名するようになってきて、そこに一部の法律専門家が乗っかって、何だか利権みたいになってしまったのね。

そして後見人の財産管理の方法も、本人のためにではなく、将来の相続人から「財産が減ったじゃないか」って文句を言われないために、とにかく「減らさない」ということが中心課題になってしまったの。

本来は「補助」とか「保佐」であるべきケースでも、とにかく「後見」にしちゃうっていうのも、その影響があるのかも知れないね。

要するに、誰も責任を取りたくないってことなのかしら。

で、その後にとんでもない大問題が発生するの。

それは専門家後見人の横領っていう、絶対に許し難い行為なんだけど、これが結構いろんな所で発生して、しかも金額が凄く大きかったり、その専門家の業界でそこそこ地位の高い人が横領事件を起こしてしまったりとか、本当に社会の信頼を失う結果になっちゃったのよ。

でも、考えてみれば、後見人って他人の財産を、その人や家族から取り上げて、自分の財布に入れて預かるって感じになるんだから、誰も見ていないならちょっと借りちゃおうって気持ちになるのも無理はないのかも??

もちろん、ほとんどの専門家後見人は真面目に被後見人のために尽くしてくれているんだけど、ごく一部の不心得者のために、制度自体が信用を失くしてしまうというのは残念な話だよね。

そこで親愛信託の登場ね!

後見人は他人の財産を「預かる」って言ったけど、親愛信託の受託者は「預かる」んじゃなくって「信じて託されて」いるので、法律的な取り扱いは全く異なるのよ。

今でも「受託者が委託者の財産を預かって」みたいな間違った言葉を使う人が居るみたいだけど、それは信託を分かっていない人なんだね。

信託とは、特定の財産を「信託財産」にして、その名義だけを受託者にするという制度で、人間に対しての代理権を持つ仕組みじゃないんだから、本人の代わりに契約などのいろいろなことをする権限を持つ後見人とは全く構造が違うし、役割も異なるので、そもそも対立するものでもないし、どちらかを選ぶってものでもないのよ。

だから、一番の正解は、大切な財産は本人が元気なうちに親愛信託で信託財産にして、一番信頼できる人に託し、必要なら任意後見契約で将来の後見人を決めておくという併存的な活用だと思うな。

是非、後見制度についても勉強して理解しておいてね。

ではまた明日!

※マリンの理想、幸せな老後よ!隣の男性は誰って?それは秘密!!