しらしんけん/何日君再来

~一途な愛と変わらぬ情熱の物語~ 連載第24回

第4章:走行融合(Zǒuxiàng rónghé) 第4話

蛯沢愛子が日本に帰ってきた。

その日以来、蛯沢省吾の表情は誰の目から見ても活気溢れるものになった。

一度失ってみて、改めて存在の大きさを感じたのであろうと、周囲の者は揶揄と嫉妬の相半ばで論評している。

蛯沢充子が経営する小料理屋の客の間では、どこでどう話が漏れて、そしてそれがどこでどう曲がって伝わったのか、省吾が内々で依頼した金髪の有能な女性私立探偵が、いろいろな情報網を駆使して愛子を探し出し、中国から連れ戻してきたことになっているらしい。

さらにデマが広がっても困るので、中岡香織は母の店に行っても、この話はしないようにしているが、充子は少しでも情報を知りたいのであろう。

「キングん野郎、クイーンと再会して、泣いて喜びよったんち?」

「まぁ、確かに喜んでたわね。」

「で、金髪の女性私立探偵っち、誰なん?」

「それは単なる噂だよ。愛子さんは自分の意思で帰ってこられただけだわ。」

「うーん、怪しいなぁ。誰にも言わんけん、母さんにだけホントのこと教えよ。」

充子に喋ったら、アッと言う間に町中に広がるのは目に見えているので、香織は何も言わない。

しかし、香織も知らない“お金”の問題は、本当にうまい具合に、誰の噂になることもなく、省吾、愛子、鄭征董、そして双葉梓の4人の間の秘密として永遠に語られることはないであろう。

こうして無事に日常に戻った香織であったが、省吾の古い携帯電話の着信音が、愛子が戻った後もまだ“何日君再来”のままであることが気になっている。

その歌のワンコーラス目、それは愛子の帰りを待つ省吾の気持ちであったと理解していた。

そして香織は、その歌の続きの歌詞を調べてみた。

“忘れられない 思い出ばかり 別れて今は この並木道 胸に浮かぶは 君の面影  思い出を抱き締めて ひたすら待つ身の 侘しいこの日 ああ愛しの君 いつまた帰る 何日君再来”

そうか、省吾が待っているのは、愛子だけではないのだ。

まず第一には、交際相手のことで諍いになって省吾のもとを去って行った長男の蛯沢啓太であろう。

実際には、啓太は福岡でイタリアンレストランを開業したばかりだから、E社の仕事に戻ることは不可能だろうが、父子関係を元に戻せるなら、少なくとも香織が去った後に蛯沢純治の心の拠り所になるであろうし、本多拓斗理事長も納得するであろう。

次に啓太と香織の母の充子であるが、香織が聞いたところによると、先月で慰謝料の支払い期間である25年が経過したのに、まだ支払いが続いているそうである。

きっと省吾は、分かった上で支払っているのであろうと香織は思っていた。

愛子の存在がある限り、省吾と充子との再会は不可能だろう。

だが、金銭という感情のない冷たい道具を使えば、最低限の繋がりを保つことはできる。

充子もそれを分かっているのかも知れない。

家庭は二つに分断されたが、過去は一つしかないのだ。

最後に香織は、父は今から10年以上前、すなわち蛯沢正治が元気で経営をしてくれ、啓太が後継者になるために頑張っていてくれ、そして香織がまだ学生、純治がまだ子どもだった昔に戻りたいのだろうと思った。

現実には、そんなことは不可能である。

だが、それと似た状況を作り出すことはできるのではないだろうか。

以前に双葉梓が言っていた“全員が100%納得するベストな提案は難しいが、ベストに近いモアベターを編み出して、全員に同じ方向を向いていただくことは可能”という言葉と共に、香織の脳裏に、蛯沢正泰の姿が浮かんだ。

横浜重工を退職して別府に戻ってくる蛯沢正泰が、もしかしたら力になってくれるかも知れない、もちろん正泰の母で亡き正治の妻である蛯沢映子の気持ちを和らげなければならないが、きっと可能だと香織は確信した。

そして香織は、早速行動を開始する。

“何日君再来”の原語バージョンの歌詞には、次のようなフレーズがあることも、香織は承知していた。

人生難得幾回醉Rénshēng nándé jǐ huí zuì)  人生とは幾度も酔えるものではないのだから

不歡更何待!Bù huān gèng hé dài)  今この時を楽しまないで何を待つ必要があるの!

(つづく)