しらしんけん/何日君再来

~一途な愛と変わらぬ情熱の物語~ 連載第20回

第3章:変動 第7話

大連に行くと言う中岡香織に対して、持ち出された現金の話をすべきか、双葉梓は相当に迷ったが、その情報が蛯沢省吾との約束で秘密にすべきことであることもともかく、純粋に父と弟のために愛子を探さなければならないという香織の使命感を汚すのではないかとも思ったので、やはり伝えないでおくことにした。

最初のうちは愛子の失踪を冷ややかな目で見ていたのであろう香織が、今は本当に身内の安否を心配する気持ちだけで動くようになってきていることに、双葉が気付いていたからである。

そして双葉は、香織に同行して愛子に会いに行くべきではないかと考えた。

「香織さん、もしよろしかったら、私も大連に同行させていただきたいと思うのですが、如何でしょうか?」

この言葉は、香織にとっても有難いものであった。

双葉は、顔が知れている香織とは違って、愛子とも鄭征董とも直接会ったことがないので、鄭の会社や自宅近辺に様子を見に行くには適しているという同行の理由もあるし、何よりも香織にとって心強い存在となるのだ。

「ありがとうございます。是非お願いします。」

「いろんな事態が考えられますから、事前によく打ち合わせしておきましょう。」

双葉にとっては、もし愛子が発見された時、愛子自身が金銭に関する事実を香織に話した場合、香織が対応に戸惑うのではないかという懸念があったのだ。

香織は言う。

「このことを、父には言っておくべきでしょうか?」

双葉は迷った。

今回の香織との調査で、愛子が鄭征董とが義理の親子関係であることはほぼ間違いのない事実であると判明したが、今の時点で彼らが一緒に居るというのは100%確実なことではないし、万に一つ、双葉らの憶測が誤りであった場合には、後からの省吾への対応が難しくなりそうである。

専門家は、依頼者それぞれから秘密にしなければならない重大な情報などの話を聞くことになるが、今回のように両方からの秘密の情報が合わさって一つの事象を形成するような事態になった時には、本当に戸惑うものなのだ。

「そうですね。社長はただひたすら愛子さんに帰ってきて欲しいというだけで、愛子さんと鄭さんが義理の親子関係であるという事実は、社長が知りたい情報ではないようにも思うのです。それに私たちは偶然知ってしまいましたが、これは完全な個人情報ですし。」

双葉の言葉に、香織も考え込んでいる。

「確かにそうですね。父と愛子さんとの間に何があってこのような事態になったのか分からないのですから、父には余分な情報は入れない方が良いのかも知れませんね。」

「今は何よりも愛子さんの無事を確かめることが先決だと思います。」

双葉は結局、香織の同意を得て、省吾に対しては愛子と征董との本当の関係に関する情報は伏せた状態で、現時点では愛子と会えることは確定ではないが中国に調査に行くということにした。

香織には“夫が居る北京に行く”という絶好の口実が使えるので、中国に向かうことを不審に思う者は誰一人として居なかった。

蛯沢純治は当然、香織が愛子を探しに行ってくれるということを分かっているので、期待に胸を膨らませていた。

中国に向かう道中、双葉は香織と様々な話をした。

初めて会ってからもう2年の付き合いであるが、こんなにゆっくりと話す機会はなかったのだ。

双葉は、省吾の相続についての香織の考えを聞いた。

「私は夫の居る中国に渡って、おそらく夫と一緒にいろんな国を回ることになると思いますので、特に父の財産は要りませんが、兄は自営業ですから、多少の財産は渡してあげるべきと思います。でも兄は独立心が強いので、要らないと言う可能性が高いでしょうね。」

「そうかも知れませんね。」

「今は純治のことを本当の弟のように思っていますし、いずれは純治が成長して会社を継いでくれることが理想ですから、会社の株や自宅も含めて、純治が引き継ぐのが良いと思います。もちろん父は愛子さんにと言うでしょうけれど、愛子さんを通して純治に行くのであれば同じことですから。」

双葉は、この2年間での香織の気持ちの大きな変化を感じていた。

最初に双葉と出会った頃の香織には、明らかに愛子に対する敵意が見えていたし、蛯沢映子や本多拓斗など、自分の意に沿わない行動を取る人たちに対して攻撃的な考え方を持っていたのが、今では全てを高い場所から見渡せるようになっているようだ。

愛子については、最初は恨みや憎しみしかなかったが、愛子本人には全く邪心がなく、省吾が一方的に愛子を愛してきただけだと分かり、やがて愛子の子の蛯沢純治と人間関係ができてきたことで、今は愛子のことを身内の一人と思うようになっていると香織は言った。

いろいろなことが一つの方向に向けて進んでいることを、香織も双葉も強く感じていた。

ただ、せっかくここまで素晴らしい経営者としての資質を備えるようになった香織が、遠からずE社を去ってしまうことを、双葉は残念と思うと同時に、早急に香織が去った後のE社の経営体制を整えなければならないと考えるのであった。

(つづく)