しらしんけん/何日君再来

~一途な愛と変わらぬ情熱の物語~ 連載第9回

第2章:それぞれの想い 第2話

中岡香織の意識は2年前に戻っている。

「それぞれの人に想いがあって、考え方が違うのは当たり前でしょう。」

双葉梓は、蛯沢映子や本多拓斗などの、自分の意に添わぬ人物に対しての不満と怒りを並べ立てる香織に対して冷静に言った。

「ですから全員が100%納得するベストな提案は難しいと思いますが、如何にベストに近いモアベターを編み出して、全員に同じ方向を向いていただくことができるか否かという問題だと思います。」

相談者である香織の立場だけを守ろうとするのではなく、誰の味方をするでもなく、中立的に妥当な提案を考えましょうと言う双葉の言葉に、香織は納得し、それからは全幅の信頼を寄せるようになった。

「確かに、株式が分散している問題は、将来的には解消する必要があると思いますが、今はまず当面の課題を解決する方法を考えましょう。」

「本多さんの不満は、どうすれば解消するのでしょうか?」

「お聞きした限りでは、気持ちの問題が大きいのだと思います。香織専務の下に付くのが嫌だと思われているのであれば、別の地位に就いていただくという方法もあるのではないでしょうか。」

「別の地位ですか?」

「E社の製造部門を分離して、新たな法人のトップになってもらうというのは如何でしょう。」

「でも、新しい会社は本多さんのものになるのでしょ?」

「いえ、良い方法があります。一般社団法人です。」

「一般社団法人??」

一般社団法人には“株式”というものが存在しないので、この法人は本多個人のものでも誰のものでもなく、いわばE社の別動隊のようなものになるのである。

この提案には蛯沢省吾も賛同し、九重工場の竣工と同時に、一般社団法人が設立された。

“一般社団法人エビサワマニア初代理事長・本多拓斗”

この肩書に本多は納得し、それからはE社の製造部門を担う九重工場の責任者として、機嫌良く仕事をするようになった。

この一般社団法人の社員兼理事は省吾と香織と本多の三人であり、実は最終決定権限は蛯沢家の方で確保されているのであるが、日常的な決定権限は全て理事長にあるので、その肩書を与えることによって、“香織の下には付きたくない”という本多の気持ちは解放されたのだ。

もちろん、その後も仕事上での意見の対立はあったが、香織と対等以上の地位であるという自覚から、逆に本多は、若い香織の意見にも素直に耳を傾けるようになったのである。

蛯沢映子に関しては、今は可能な限り映子の意見を聴き入れて株主として尊重しながら、いずれ映子の株を相続することになる蛯沢正泰との連絡を密にするようにして、“あちらの蛯沢家”の情報を得ると共に、正泰が勤務する横浜重工との関係も以前より強化することができた。

一見は対立関係に見える人たちに対して、敵意をもって臨むのではなく、それぞれの想いを尊重して調和を図るという、いわば発想の転換は、経営者としての香織にとっても大いに参考になる考え方であった。

理事長の地位を得て以来の本多は機嫌よく仕事をしているが、彼に関しては、もう一つ別の問題がある。

本多はずっと以前から“俺は60歳になったら会社を辞める”と公言しており、その日まであと数年しか残されていないのだ。

確かに、一般社団法人には株という厄介な存在がないので、本多が引退したとしても、代わりの理事長を選任すれば、法人自体は何の問題もなく事業承継ができる。

ところが、オートバイのカスタムパーツは今でも手造りの部分があったり、機械を使う分野であっても、扱う者に特殊な技術がなければ良質な製品が出来上がってこないという面があり、E社の製造技術の相当な部分が本多個人の能力に依存されているのが実情なのである。

かと言って、本多の技術は他の社員には伝承されておらず、数年後に本当に本多が退職してしまえば、おそらく大変なことになるであろう。

香織が人を通じて聞いたところによると、本多は60歳になったら会社を辞めて夫婦で世界一周の船旅に出るというのが妻との固い約束であり、だから妻は我慢しているということなので、あまり経営側の都合ばかりを主張すべきではないというのが双葉行政書士の考えでもあり、香織も致し方ないと考えている。

「ここ数年の間に、本多さんには及ばないにしても、それなりに対応できる技術を持つ人材を育てる必要があるでしょう。今は外部からヘッドハンティングしてくるという方法もありますから。」

双葉の意見の通りと香織は思ったが、本多にはE社の株主という立場もあり、その問題も解決しなければならないし、さらにもう一つ、E社全体に関わる大きな課題があるのだ。

(つづく)

 

登場人物紹介(第8回~第9回)

・本多拓斗(ほんだ・たくと 58歳)

元はE社の工場長で、現在は“一般社団法人エビサワマニア理事長”の肩書きでE社の九重工場を任されており、E社の創業当時からの株主でもある。

省吾とは中学校以来の1年後輩の関係で、省吾がレーサーの時代から現在に至るまで、ずっと省吾を支え続けている。

本人の意思で、このまま定年退職することを考えているが、以前は香織となかなか意見が合わず、今でも本心では長男の啓太が帰ってくることを望んでいる。

・双葉梓(ふたば・あずさ 45歳)

中岡香織が全幅の信頼を寄せている行政書士で、人生経験が深いのか、職業上の専門分野以外のことにも非常に詳しく、E社のことで様々な提案をしてくれている。